創元推理文庫の「日本探偵小説全集」に収録された中短編を読む。併録の「ドグラ・マグラ」は別のエントリーで。
瓶詰の地獄 1928.10 ・・・ 「神様からも人間からも救われ得ぬ」二人の若者の漂流譚。ロビンソン・クルーソーは聖書を読んで孤島を社会にしたが、同じく聖書を読んだ二人の日本人は孤島の天国を地獄に感じる。小説の兄妹がロビンソンのようにならないのは日本社会での関係を孤島に持ち込んでいるから。それは、タロウのつよい父権主義とミソジニーにあるんだよね。アヤ子はそれを内面化しているのでタロウを批判できない。男による女の支配が二人を地獄にするのだ、と読んだ。なので決着の付け方も日本的な選択。海外のドキュメンタリー番組に、孤島で成人の男女二人がサバイバルするというのがあって、そこでは男女は対等な関係(喧嘩もいさかいもあるが)を作った。
氷の涯 1933.02 ・・・ 初出時には不要だった当時の背景を書いておく必要がありそうだ。すなわち1918年におきたロシア革命の炎は極東にまで到達し、帝国主義各国は居留民保護を名目にロシア領土に軍隊を派遣する。WW1が終えるにつれて派遣軍は撤退したのだが、日本軍のみは満州の領土獲得を目指して駐留を継続していた。舞台はハルビン。この都市には白軍・赤軍入り乱れ、治安維持の大部分は日本軍が担っていた。とはいえ都市を離れると日本軍の威光も権力も届かないし、都市にはスパイ、二重スパイが暗躍しているのであった。そこにおいて、どさくさまぎれで日本軍が駐留したのを継続するために、工作資金を用意し、工作員を送りこんでいた。さて、主人公は陸軍歩兵一等兵である。休日には町をぶらついて洋書を買い込むようなインテリである。ある日、主計と通訳が15万円を横領して逃走するという事件が起きた。どうやら銀月という料亭で陰謀が図られたと見える。帳簿を送り届ける任務を帯びた主人公は、女将の薦めで麦酒を飲んで昼寝をする。帰還すると、司令部は誰もいない。手持無沙汰なまま建物の屋上に向かうと、サボテンの鉢が多数並べてあり、どうやら暗号に使われたと見える。推理をもてあそんでいると、突然襲われ、建物の持ち主であるロシア人一家が善良そうな顔つきの裏で赤軍と通じているのがわかる(日本軍は白軍支援)。主人公の推理はさらに進み、逃亡した主計や通訳は赤軍に通じたスパイであるとも、いや日本軍が赤軍シンパのあぶり出しに使ったおとりだとも、さまざまな解釈がたつ。主人公は銀月の女将に問いださそうとすると、女将は誘惑し、あんたがスパイと目されていると暴露する。女将の手を振りほどくと、銀月は燃え出し、主人公はついに幾多の事件の主犯であるとみなされてしまう。絶体絶命。
素人が国際謀略にまきこまれて身の潔白を明かすことになる巻き込まれ型サスペンス。英国あたりにあるのと大違いなのは、主人公は状況を整理して推理を進める頭脳はあっても、自ら窮地に飛び込むような行動をしないこと。そこは日本のインテリの典型。なので、情報を獲得し状況を整理するのは他人。女将や司令部の連中やスラム街の情報屋や、なぜか主人公にほれ込む19歳のロシア人女性などが寄ってたかって、彼に説明する。そのために250枚もあるのに、物語は静的。ハルビンからウラジオ(ストック)に逃げ込んでも、その地で暮らしを立てるのも女性が手配する。この情けなさ・頼りなさは、集団に所属していると威張り散らすが、個人になったら何もできなくなり意気地もなくなる日本の男(ことにインテリ)そのものを描いている。タイトル「氷の涯」はゆきゆきてその先がなくなった果てのいいであるが、どうじに彼の現況の暗喩でもある。
(外国の地で洋書を買いあさるような行為をすると、スパイと思い込んでしまう日本の憲兵・特高の不見識も指摘しなければならない。軍隊は反知性主義が蔓延しているのだ。)
貴重なのは、ハルビン、ウラジオなどの占領地を描写していること。1920-30年代に一旗揚げようと満州、中国に乗り込んだ日本人はたくさんいたが、そこを舞台にした小説はほとんどない(あったかもしれないが敗戦後封印された)。夢野は占領地を舞台にする珍しい作家。この作は中でも詳しく都市や雑踏を描写している。外国人に囲まれて暮らすことがほとんどない日本人には、この状態は異常で異様にみえるのだ。
以下は青空文庫にあるものから選んで読んだ。名作・代表作認定されているもの、文庫に収録されたものを選択基準にする。ちくま文庫で全集が出ているが、全作読む気力と時間はもはやない。
死後の恋 1928.10 ・・・ ウラジオストックの酒場で日本兵が白軍のロシア人兵士に絡まれる。元貴族だという白髪の青年が、ある元貴族のさらに若い青年にいくつもの宝石を見せる。ロマノフ王朝の末裔らしい。行軍中に赤軍の待ち伏せに会い、舞台は壊滅する。その若い青年の秘密が明らかになる。ガルシン「四日間」に似ているが、さらに前後に枠を作って「信頼できない語り手」を導入する。小説の技術が50年で発達した。ここでもテーマは宝石へのフェティシズム。あとこの語り手は「話終えたら自死する」ことを予告していて、なんとなく「ドグラ・マグラ」の語られていない結末がここにあるように思えた。
爆弾太平記 1935.05 ・・・ 朝鮮最南端の絶影島(まきのしま)に隠遁している老人を検事正が訪れる。以下、老人の大気炎。彼が隠遁するに至った経緯を説明する。背景にあるのは日本植民地になった朝鮮。詳しくは
海野福寿「韓国併合」(岩波新書)
高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書)
この小説の情報で補完すれば、日本には過剰人口が三千万人いて職がない。朝鮮には無限の資源があるので、そこで一旗揚げればいい(そこに住む朝鮮人は全く無視。たんなる使い捨ての労働力で人権はないとされる)。日本の法を守っていればよいが、九州などの漁民は爆弾漁業をやりだした。海中でダイナマイトを炸裂させる漁法は効率はいいが、資源を枯渇させてしまう。魚がいなくなったら他の国の漁場で同じことを繰り返す(これは開高健が嘆いた「やらずぶったくりの釣り」と同じ)。しかも無法の漁船団には暴力団が背後にあり、その奥では官僚・企業・政治家が連座して利潤を吸い上げていた。東京の官庁はときに違法操業の摘発を指示するが、朝鮮総督府は中央のいうことを聞かない。そのために、朝鮮の漁場は荒れるばかりであった(この歴史があるから、戦後に韓国の経済水域内で違法操業を繰り返してきたのか)。
岡村昭彦「南ヴェトナム戦争従軍記」(岩波新書)
官・産・政一体となった朝鮮の搾取と略奪があったわけである。そこに立ったのは九州の快男児・轟雷雄(とどろきなるお)。水産学の勉強をしたのち官吏となり、朝鮮に派遣され、そこで爆弾漁業の実態を知るのであった。その阿漕さに怒りを発し、朝鮮の津々浦々を半年以上かけて巡視し、かつ爆弾漁法を実践していた腕利きの漁師を手下にする。東京の官庁の協力を得て、いったんは壊滅状態にまでしたものの、再開され容易には捕まえられなくなった。しかし轟には講演依頼が山のように来て多忙を極める。これは敵の仕掛けなのだと手下の猟師はいさめるが、轟は耳を貸さない。ついには、爆弾漁業を実演する羽目になった。ときに大正8年10月14日。万座の見物人(多くは冷笑を浮かべている)と呼んだ芸妓の前で、手下の猟師はダイナマイトを頭の上にかざす。
義憤にかられるものによる政治批判運動。書かれた時代からすると、彼の戦いはあらかじめ敗北が決まっていたのであるが、それでも正義を実現するためには自分が不利益を被ることもある。しかしそれでも正義の実現が重要なのだ。そういう義士の奮闘。ただ、轟雷雄は右の国家主義者であって、個人や小さなグループでの活動に終始する。零細漁民や日雇いなどを組織して、体制と戦う道をとらない。のちに警察の取り調べで「社会主義者」とののしられて激高したように、「アカ」に近づく、「アカ」のようにみられることは忌避したのであった。さらに国家主義者というのは、彼の視線には朝鮮人の人権は全く入っていなくて、日本の政府や軍隊や企業に強制された貧困から彼らを解放しようという考えもまったくない。ここは夢野の制約をみるのではなく、当時の知識人が「内には民本主義、外には帝国主義」だったのをみることにしよう。
ここでは、国外の日本植民地を舞台にしたものを集めた。植民地を舞台にした小説はなかなかない。とりあえず読んだのはこのくらい(たぶん戦前・戦中にはもっとあったが、戦後それらは封印された)。
横光利一「上海」(岩波文庫)
新美南吉「牛をつないだ椿の木」(角川文庫)
小栗虫太郎「白蟻」(現代教養文庫)
夢野の作は、とりわけ政府や軍隊への批判が強いのが特徴。反権威、反権力の意があるのだろう。
一方、植民地の住民には目もくれない。時代の制約。
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