odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

岩井克人「貨幣論」(ちくま学芸文庫)

 マルクスの価値形態論をベースにして、貨幣とは何かを説明しようとする試み。すると、説明は「貨幣は貨幣として使われるものである」という身もふたもなくなってしまうが、これがトートロジーでもなく、こけおどしでもないことがわかる。()内は自分の勝手な素人感想。1993年初出。

序 ・・・ マルクスは資本主義社会の危機を全面的な過剰生産による恐慌とみていたが、むしろ貨幣の価値にたいする人々の信頼を全面的に揺るがしてしまう破壊的なハイパーインフレーションが資本主義社会の危機である。

第一章 価値形態論 ・・・ 商品の交換価値はどのように生まれるのかというと、商品は単独でその価値を示すことはできない。他の商品との区別、差異によって価値が生まれる。このときある商品は他のすべての商品から交換価値を与えられる、と同時にすべての商品はある商品に交換価値を与えられる(最初のほうをB全体的な価値形態、後者をC一般的な価値形態とする)。この関係は「ある商品」をどのような任意の商品にもすることができ、ある任意の商品を「貨幣」と呼ぶとき、BとCの交換価値は循環的な関係になる(P60の図)。一度これが成立してしまうと、そこには人々の労働、人々の主観的な欲望や共同体の申し合わせ、君主の勅令、市民の契約、国家の立法など外部的な要因は入り込まない。無数の商品がBの価値形態とCの価値形態がお互いに互いの成立根拠となって、循環論法的に支え合い、存在の根拠を宙吊りに作り出す。しかしこの商品と貨幣の相互依存関係では、商品と貨幣の関係は対照的ではない。商品は他の商品と貨幣の介在なしに直接交換可能ではないから。個々の商品は貨幣と交換されるために商品世界に参入し、貨幣と交換された瞬間に商品世界から退場する。一方、貨幣は商品との交換を通じて、ずっと商品世界を循環する。このような貨幣による価値形態が成立するとき、労働価値説が入り込む余地はない。労働力は価値の源泉ではなく、貨幣を媒介にして交換価値を他の商品に与える/与えらえる商品のひとつになるから。このような関係は、人間の社会化する主体/客体を媒介する「言語」でもみられる。

第二章 交換過程論 ・・・ 商品世界は第1章のようであるが、一人の人間が商品を所有している間はただのもの。それが商品になるのは、人間の商品の交換が必須。そのとき、ある商品Aを欲望している人とある商品Aを販売する人を直接マッチングすることは極めて困難。そのとき使用価値をもたない貨幣を媒介にすると欲望と所有のマッチングをスムーズに行うことができる。では、貨幣の起源はなにかであるが、貨幣はその存在に関して実体的な根拠を必要としないので、歴史的な生成にも実体的な条件を一般的に想定することはできない(たとえばローマ帝国では法制説が可能であるが、この国の中世では商品説が有効、という具合)。貨幣が「ある」ことになった歴史の事実こそが貨幣の神秘(ウィトゲンシュタイン論理哲学論考」のいう意味での「神秘」)。

第三章 貨幣系譜論 ・・・ マルクスは貨幣の価値=金の価値=金を採掘する労働力の価値と考えていた。そこでは金貨こそが「本物」で、他の金属の硬貨や紙幣は金貨の「代わり」であるとする。しかし、価値形態論を徹底すると、循環論法で貨幣の位置を占めるものが貨幣なのであって、そこには実体的なモノの価値は貨幣の価値とは無関係(すり減った硬貨がその額面で使われるのは、商品と交換した貨幣が未来でも同じ額面で別の商品と交換できる可能性をもっている、そういう人間の幻想があるからといえる)。2章、3章によってマルクスは自身の価値形態論でもって、自分の労働価値説や貨幣論を葬ってしまう。

第四章 恐慌論 ・・・ 貨幣はいつでも商品と交換できる可能性を持っている(流動性)。ここに人間が登場すると、将来の予測が不可能であるので、将来売る/買うための貨幣を手元に保有しておくという欲望をもつようになる(流動性選好)。そこにおいて貨幣はモノではないことによって商品になり、流動性選好のための商品として機能する。そうすると、商品市場では「神の見えざる手」による需要と供給が均衡する事態はおこらなくなる。セーの総需要と総供給は一致するという法則は貨幣のある世界では成り立たない。さて、ここである商品を購入する欲望が下がったとする(需要不足)。売る側は商品の価格を下げて需要を喚起するが、いったん需要不足が起こると他の商品まで連動して需要不足になり、全体として供給過剰と物価の下落(まあデフレで、恐慌だ)がおこる。論理的にはすべての商品が「1円」になるまで価格下落は続くがそうならないのは、市場の外で決められる給与が下落しないから(経営者、政治家他の意識による)。このように需要不足は市場=商品世界の外部の機能で、壊滅的な事態を避けることができる。しかし、恐慌は資本主義の危機ではない。人間に流動性選好があり、貨幣の信頼があるので、時期が来ると再び需要が生まれてくるから。(このあたりの需要不足以降の説明は小野善康「景気と経済政策」に似ている)。

第五章 危機論 ・・・ 流動性選好で貨幣を保有する欲望があるのは、手持ちの貨幣を同じ額面で受け取る人間を期待しているから。それは未来の人間であり、未来の人間はさらに次の未来に、という具合に、無限の未来にすべての貨幣の決済を受け入れる人間の存在を暗黙に前提している。もちろんそのような人間は存在しえないとなると、貨幣を使うことはそのような無限の未来の人間を期待する(彼は使用価値のない貨幣を商品と変える無類のお人よしだ)。そのような現在の人間の期待があつまった貨幣共同体がある(これも循環論法に仕組みになって、実体的に存在するわけではないし、その成立の根拠はない)。とはいえ、商品を買う人(貨幣を持つ人)は貨幣共同体から脱出することはできないが、商品を売り人は貨幣共同体から脱出する。という具合に、商品の売買のごとに貨幣が発生する奇蹟が繰り返される。さて、このとき流動性選好で貨幣を保有している人が、いっせいに貨幣への信頼をなくす(貨幣を保有することを望まない)場合、貨幣の価値は暴落する。短時間で急激に貨幣の価値が暴落するハイパー・インフレーションにおいて、無限の未来の人間への期待でできていた貨幣共同体は消える。これが資本主義の本来の危機である。
(5章のような貨幣の危機を議論した最初の例になるのではないかな。多かれ少なかれ、この後に出た貨幣の話はこの議論を下敷きにしているのかもしれない。下記のサイトの記事などをみると、そのあとの貨幣論の本には、無限遠ハイパーインフレの話がセットになって載っているみたいだ。
2014-07-15
 合わせて、このサイトでは無限遠ハイパーインフレがセットになった貨幣論を批判している。形而上学とか抽象哲学で話をしても、それって人間の経済行動と一致していないじゃん、無限遠にいる「最後の人間」のことを考えているわけではないよ。そんな先のことは考えていない、せいぜい自分の人生の残り時間か数世代先のことくらいまでしか考えないで、貨幣の取引をしているのだよ。ごっちゃにするな、といっている。それにくわえて、未来の決済を先送りにするというけど、不良債権は適宜チャラにしているから、これまでに発行された貨幣の総額が無限遠にいる「最後の人間」の負債として先送りされているわけではない。例はこの国の敗戦時で軍票の貨幣価値がゼロになったとか、新円切り替えで古い貨幣が使えなくなったとか、明治維新のとき藩の負債は新政権のおかげでチャラにしたとか。国家の介入と強権で貨幣共同体は消滅しない工夫がなされている。)


 貨幣とは何かについて、一般的には商品説と法制説の二つがあって、どちらが正しいかの議論がやかましかった。いずれも古い歴史を持っていて(法制説はアリストテレスにさかのぼれるとか)、なかなか雌雄を決し難かったのだが、どちらも貨幣が誕生した奇蹟の後付の説明なので、事態を説明しているわけではないよ、という。というより、そのような起源の説明は、貨幣の神秘にたどり着かない、むしろ覆い隠しているということになる。なるほど、自分の財布に入っている紙幣や硬貨、通帳に記載されている数字は、実体としての価値を持つのではなく、だれかがそれを所有したいという欲望をもっているという期待を持つことで所有する「意味」が現れてくるというわけか。自分は自分が主体であるという希望をもちたいけど、貨幣共同体に属している自分は主体すら他人の欲望の反映にすぎないという、なんとも心細い立場にあるのだなあ。老後のために資産を持とうというのも、期待の反映だしね。
 あとは、貨幣になぜ利子がつくのかとか、グローバル資本主義の克服に減価する貨幣はどうかとかという疑問が残るが、前者は流動性選好によって貨幣が商品になったために負荷された機能(欲望の体系)だろうし、後者は貨幣共同体の成員の期待や欲望を変更しようという試みであって、実効性はどうも乏しそうだ、とういうことになるのかな。もう少し考えてみたい。
 ここではマルクスの価値形態説をとことんまで使ってみるというとてもシンプルで経済的な思考が行われている。ケインズ流動性選好が加わるくらいか。それでも「価値形態説」をとことんまで追及すると、これだけ大きな「世界」が開けてくるのだね。もちろんこの議論は、現実の経済の危機を解決する処方を用意するものではない。それは読了した読者の仕事になる。上にも書いたように、理論的な話と現実の経済政策の話を混同しないようにすることは大事。
 あとは、吉本隆明「マルクス」(光文社文庫)柄谷行人「マルクス その可能性の中心」(講談社文庫)と並んで、マルクスの本を読むときの優れた航海図である。これら3冊を読んで「資本論」を読むと、あの難解で分厚い本(少なくとも第1巻は)を理解しやすくなるはず。もちろん三者三様にマルクスの誤りを指摘しているので、そこも押さえておく必要がある。