著者は東京スポーツ出身のプロレス記者。後にはフリーライターとして活躍。のはずだったが、このところ彼の名を聞く機会がない。おかしいと思っていたら、脳梗塞により身体に不自由があるとの由(2004/10/26現在)。回復をお祈りします(wikipediaによると2011/3/19現在では回復したとのこと)。
この人は、ジャイアント馬場と同年齢ということもあり、もっとも信頼の厚い記者だった。そのために、アンドレ・ザ・ジャイアントの回想録でありながらも、ジャイアント馬場に関する記載のほうが充実していて、それはしかたのないことか。80年代になって著者は管理職になってしまったので、その間の記載が貧弱なのはいただけない。アンドレがジャイアント・マシーンになったところでも、著者は「プライドを傷つけられた」と憶測するのだが、このギミックを仕掛けたミスター高橋によると「ニヤッと笑って」承諾、ということになる。この本に書かれたアンドレの性格からすれば、後者であるのが正しいということになる。
したがって、ここでの読みどころはアンドレを知る五人のインタビューにあって、とくにヨーロッパマットを経験しているストロング小林、マイティ井上の話が面白い。アンドレのことはいろいろ書かれているので、さほど目新しい事実はないし、怖そうだが実はいい人=アンドレという著者のアウトラインに沿った話なので(それは前田日明の話でもそう)、こちらの期待を裏切られるショッキングなことも出てこない。むしろ、60―70年代のヨーロッパマットの事情が興味深かった。この時代の情報は極端に少なく(日本のプロレスがアメリカから選手を迎えるという事情にあったので)、どういう選手がいるのかどういう興行形態なのか、そういうことは知られていなかった。日本選手で彼の地に遠征していたのはあと数人くらいなので、本当に貴重な話なのだ。マイティ井上選手にいたってはほとんどインタビューがないので、もっと話を聞いて欲しいなあ(と思っていたらノアのレフェリーも引退してしまった)。
それにしてもアンドレ・ザ・ジャイアントが亡くなって(1994年1月29日没)、もう10年になるのか(2004/10/26現在)。これを報じた週刊プロレスを保管してあって、自分にはつい昨日のことなのだがなあ。今晩は、vsキラー・カーンやvsアントニオ猪木、馬場とのタッグなどのビデオを見ることにしよう。合掌。
重要な試合を忘れていた。1981年9月23日 東京・田園コロシアムにて行われたvsハンセン。ミスター高橋「新日本プロレス伝説完全解明」によると、両者リングアウトにしないために、二人のレスラーは熱心な打ち合わせをしたそうだ。まあ、そんな背景をぬきにしても、この巨体のぶつかり合いは問答無用の迫力。
youtubeにあった。
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