odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

多川精一「戦争のグラフィズム」(平凡社ライブラリ)

 対米開戦の避けられないと思われた昭和14-5年ころに、陸軍参謀部は考えた。米にはLifeが、ソ連にはUSSRというグラフ誌があるではないか。それに比べわが軍、わが国には。というわけで、参謀本部の肝いりで「対ソ宣伝計画」を目的にした民間雑誌会社を作ることにした。それが「東方社」である。東方はシナのいうわが国であるという命名のとおり、なぜかここには左翼シンパや活動家が集まった。まあ、満映などの宣伝会社に左翼浪人が流れて集まるというのは、当時よくあったことだった。それに写真やレイアウト、編集に一家言をもつ反体制の人々が集まった。そして、昭和17年春に最初の号がでて、19年末までにおよそ10号を出し、昭和20年3月25日の東京空襲で印刷した紙と版下、および編集会社の設備什器が焼けたところで終焉する。
 「FRONT」と名づけられたその幻の雑誌(なにしろ国外宣伝用のために国内では販売されず、軍がまとめて買い上げた後どうなったのか知らない)が1980年代に復刻され、当時の編集者の一人が記録を残した。それがこの本。1988年初出。

 東方社とFRONTが重要なのは、次の点か。
・集まった顔ぶれがすごい。編集には林達夫のちに中島健蔵、写真に木村伊兵衛、編集に原弘という1950-60年代のそれぞれの分野を代表する連中が集まった。しかし、彼らは東方社およびFRONTについてほとんど語らない。林達夫の「歴史の暮方」には戦中の生活を描写する随筆があるとはいえ、ニワトリを飼うドタバタを描くも、それは健康を害して東方社を辞めたあとのこと(理事長として名を残している)。たぶん彼は東方社のことを一切書いていない。中島健蔵は「昭和時代」(岩波新書)他に書いているとはいえ、設立当時の状況は知らない。というわけで、この記録は貴重。
東方社参謀本部の庇護を受けているとかで、顧問だったか総裁だったかに建川美次・陸軍大将だったかを迎えていた、そのため、左翼シンパの集まる東方社憲兵・特別警察その他の公安関係者の目のつけるところであったが、手を出せない。なにしろ元陸軍大将経由でクレームが入るのだから。まあ、それも面白いのだが、同時にあの統制経済において軍の名前は使えたもので、こと資材と出張費については心配の必要が無いというパラダイスでもあったのだ(代わりに仕事の鬼とか瑣末にこだわるアルチザンのために仕事は厳しかったらしい)。ここらへん、戦争でありながら得体の知れない会社はよくあったらしく、堀田善衛の最初の就職もわけのわからない文化支援会社であった(「若き日の詩人たちの肖像)。
・もうひとつは1920年代のモダニズムソ連、ドイツ、アメリカなど)の影響を色濃く受けた新感覚の雑誌であったということ。実際にこの本に収録された雑誌のレイアウトは斬新で躍動的でモダンでインターナショナルであった。エアーブラシを使った写真の改変、大胆な構図、意図を明確にする編集など、のちの民間の広告宣伝で使われた技法はこの雑誌で最初に試みられたのだった。
 画像と編集の素晴らしさは以下のサイトをご参照ください。
http://blog.kmhr-lab.com/2009/03/front.html
・皮肉なのは、これだけの手間隙費用をかけたものの宣伝にはほとんど役に立たなかったとみえるところ。最初の海軍特集、2号の陸軍特集は大東亜共栄圏を意識してアジア諸国の十数ヶ国語版がでたのであっても、たぶん流通量はすくない。とはいえ、いろいろなルートで敵国にもわたり、クレムリンの机にも、アメリカの特務機関にも一冊がおかれていて、進駐軍は命じて東方社の関係者を集めて、GHQの宣伝計画にも雇用したのであった。
 著者はこの特殊な会社に所属していたために、徴兵されないし、海外に派遣されることもなかった。その意味では、特殊な戦争体験の記録。彼の見た戦争は東京大空襲他の空襲であって、被害者としての戦争ということになる。そこは意識しながら読んでおかないといけないかな。