odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

又吉直樹「火花」(文春文庫) 無理くりいえば、師匠探しとその乗り越えがテーマの「私小説」

 小説には、珍しい職業をテーマにしたものがあって、例えば最近作(でもないか)では有川浩「空飛ぶ広報室」(幻冬舎文庫) あたり。この中編もそのひとつ。ここでは漫才師の世界。読者は成果をテレビなどで見ることはあるが、その裏側でやっていることは知らないので、興味をもつ。まあ、小説で漫才師が主人公であるのはめずらしいかもしれないが、漫才師が本を書くことはまれなことではない。自分も、徳川無声、いかりや長介などからのいくつかはよんでいる。これもそんな感じの回想録かと思ったのだが。
 売れない漫才師が四苦八苦している。都会にでてくるまでは自信満々であったのが、鼻っ柱をへし折られる。笑わない観客と自分らを凌駕する先輩の存在に。売れないので、貧乏暮しをしている「僕」のまえに、先輩が現れる。「僕」からすると、先輩は面白いのに、売れる努力をしない。後輩を侍らせて酒を飲むのが楽しみのよう。でも「僕」は先輩の天才が自分を導くと思えて、ずっと付き従う。「僕」は10年の間に、時折売れてテレビに出て、街中で声をかけられるくらいにもなったが、相方が結婚し子供が生まれるのを汐にコンビを解散する。それぞれ社会人になり、先輩はあいかわらず芸能界の底の、澱みたいなところで暮らしている。先輩すごいなあとなさけないなあの気分が「僕」に残る。とまあ、そんな感じ。無理くりいえば、師匠探しとその乗り越えあたりがテーマか。
 物語らしい物語はない。上に書いたことはほとんど状況説明の固い文章で表現されるだけ。では何が書いてあったかというと、「僕」の心境。ときに漫才論。どちらも大して内容はない。この語り手は本を読んでいるらしく、ときに難しい言葉を使うが、それは語り手の思想になっているわけではなく、勉強を披露しているに過ぎない。およそ主題とか心理とか、そういう読みどころはほぼないに等しい。しゃべることがないのにしゃべっているときのような駄弁がえんえんと続く。
 半径5m(でも50mでもいい)の観察にほぼ限られ、自分の心情の記述が大事。ああ、いまだに「私小説」があるのか。志賀直哉「城ノ崎にて」がこんな感じだったなあ。100年前の方法とテーマは15年戦争の経験を経て廃棄されたのかと思っていたが、強烈な先祖帰りを起こして、21世紀に生まれてしまった(2015年初出)。
 読者によっては作者の身辺情報を知っているので、ここに書かれていることを実際に起きたことと照合して楽しむかもしれない。おれは作者の私生活を知らないので、どうでもいい。