odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

国木田独歩「武蔵野・忘れえぬ人々・牛肉と馬鈴薯・酒中日記」(青空文庫)-1 19世紀の小説。知的エリートは苦悩し、駄弁をやめない。

 国木田独歩1871年生まれ1908年没。漱石や鴎外、二葉亭より若いのに先に亡くなった。クリスチャンであったという。

武蔵野1898 ・・・ 二葉亭四迷訳のツルゲーネフ「あひびき」を持って、武蔵野(小手指の古戦場を見に行くというから所沢や瑞穂のほうかな)を歩き回る。とくに目的はなく、自然を眺めるだけ。日本の芸人や歌詠みなどが見てきたような景色ではなくなり、ツルゲーネフのように人間に語り掛け抱擁するような風景になっていく。花鳥風月の雅趣はおきないし、松林よりも日本人が美を見てこなかった楢の落葉樹に詩趣を感じる。歌も俳句も作らないが、言文一致体の散文を残すことはする。かつて日本人は自然に分け入ったが、それは狩猟採集だったり、修行だったり、名所史跡の観光だったりするが、それらとは一線を画する。新しいのは日本人の目で景色をみるのではない。どうしても花鳥風月をめでたり名所史跡の蘊蓄を語りたくなるのをこらえる(それはステロタイプになるのだ)。西洋人のように風景を見る。なかなか難しいこの試みを記録したのが本書の新しさ。この先に、夏目漱石の「草枕」、藤村の「千曲川のスケッチ」があるのだろう。あるいは志賀直哉の短編(「城ノ崎にて」あたり?)があるのだ。こういう無目的な徒歩旅行は、ドイツでワンダーフォーゲル運動があったが、さて日本ではどうだったか。導入されたという話は聞かないな。独歩の個人的な趣味だったのだろう。あと、語り手は都会人。こういう田舎の徒歩旅行で田舎を日本の異邦としてみる。田舎人を同朋とはおもわない。インテリと大衆の乖離はこのときには生まれていたのだろう。
(よくある誤解は、独歩は武蔵野の美を見つけたということ。彼は美を見ていない。「自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣(ししゅ)といいたい、そのほうが適切と思われる」と書きつけたとおり。独歩の「武蔵野」を読んだ読者が武蔵野を美しいと思うようになったのだ。)

忘れえぬ人々1898 ・・・ 二子多摩川近くの溝の口の宿屋に20代半ばの学生がとまる。相宿の客も同世代で、彼が書いた「忘れえぬ人々」という随筆を読み聞かせる。人生の問題に苦しみ、生の孤立に憂鬱になるものから見ると、市井の労働者は苦悩から解放されていて「忘れえぬ人々」になるのだ、という。おお、1920年代の教養主義はすでにこの時期からあったのだね(まあ二葉亭も硯友社も若いエリートの苦悩を文学の主題にしていたので、影響された若者はそうなる)。2年後に再会したとき、「忘れえぬ人々」はさらに増補されていた。落ちがおもしろい。漱石や啄木や志賀直哉らにはこういう落としはない。真面目すぎるのだ。

牛肉と馬鈴薯1901 ・・・ 今(1901年)はない明治倶楽部(イギリス風の会員制クラブ)に7人が集まる。どうやら同じ大学の同窓生か出身が同じ。同世代が集まってくっちゃべっている。今晩のお題は各人の人生観。クリスチャンが北海道に開墾にいって挫折したり、乙女(むすめ)に恋するも彼女は別の男の子を懐妊して自殺したり、と挫折する話しかしない。できない。そこで中途半端な自分を正当化するために、牛肉主義(法科系エリートか実業家になって金儲け)か馬鈴薯主義(大衆の一人となって勤労する)かを喧々諤々に議論する。彼らはいずれも実行することはできないし、機会に応じて立場を切り替えるダブルスタンダードをする。脱線ついでに、科学と哲学と宗教の統合が必要であるとか、心霊が存在するとかの西洋の最新流行の話をする。1901年ではすでに検閲や表現規制が始まっていて、政治的な話題は危険だった。でも、こうやって韜晦や自虐があれば、まだ可能だった。無理やり読めば、ここから政府や財閥批判まで抽出できそうだが、それ以前にエリートの自省がすでにどうしようもなく自堕落で無責任になっているところに注目しよう。1930年代に本作の息子世代が日本社会で挫折し堕落した自分を自嘲したのだが、日露戦争前後に若者だった父親世代もそうだった。あと本作みたいなのを啄木は書きたかったのだろうなあとか、挫折した息子世代で大作をものしたのが埴谷雄高の「死霊」だったのだろうなあとか、妄想はつきない。

酒中日記1902 ・・・ これはとっても嫌な気分になる小説。小学校の教師の男、母と妹と折り合いが悪い。男が出ていった後の家を下宿に改装したら、軍人が住まうようになって、母と妹はネトウヨ(とは本文ではいっていない)になってしまった。軍人を歓待するために下宿代では足りず、男から取り上げる。その日も男と妻にさんざん皮肉と誹謗を投げつけて帰っていった。なんと男が集金していた金100円を盗んでいく。返してもらおうとするとしらを切り、男をなぶって追い返す。途中で300円入ったカバンを拾得。ネコババして集金にあてた。そのことが妻にバレ、妻は幼児と一緒に入水自殺。男は退職したのみならず、酒浸りになって(その状態で書いたのが本文なのでタイトルがそうなっている)、ついに事故死した。男の情けなさ(母に強く出られず、妻をしかりつけ、ネコババし……)に涙がでてくらあ。苦悩するばかりでなにもしない。知的エリートはこんなにダメで無責任なんだねえ。もちろんもっとも悪いのはネトウヨになった母にある。そこは大事。日露戦争前で国内で開戦機運が高まっていたころ。とても迂遠な軍隊批判と読めないことはない。ことに100円を盗んだ母がその金で寿司を下宿する軍人にふるまうところ。

 

 若いころには自由民権運動に参加し、長じてキリスト主義者になった。でも、あとで作った小説からはそのような経歴をまったく感じさせない。どうなっているんだ、この人。

 

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2025/11/19 国木田独歩「富岡先生・少年の悲哀・運命論者」(青空文庫)-2 20世紀の小説。家父長制とミソジニーまみれで無責任な男たちばかり。 1898年に続く