山田美妙は1868年生まれで1910年没。享年42歳。同級生に尾崎紅葉などがいて在学中に硯友社を作る。この程度の文学史の知識で、小説「武蔵野」を読む。1887年に読売新聞に連載された。
全体は上中下の三部構成。ころは足利尊氏、新田義貞のころ。源家絶えて、武家政権の次の覇権をだれが取るかで全国で争闘が行われていた。上の部では、武蔵野を二人の武士が徒で行く。言葉の端々から彼等は親子で、新田方としれる。このあたりを平定している足利方につかまらぬようにしていたが、疲労のために野馬を使おうとして足利方に見つかる。中の部は二人の武士の妻と娘と知れる。家を出立して早九日。すでに新田方に参じたと思われるが知らせがなく、不安である。娘は上の部に出た若い武士の許嫁である。母が看経で気を静めるといって奥にさがると、娘は金の帷子を身に着ける。下の部はその翌朝。いつの間に消えたか、娘のゆくえを探すうちにむくつけき武士が訪れ、二人の武士が足利方に斬られ、途中で熊に襲われたらしい金の帷子をつけた娘の死骸を見たと報告する。
1870年代の自由民権運動は憲法発布と議会設立を約束したので、今度は市民社会を設立する準備にとりかかる。とはいえ、制度も思想も不十分なために、この国の人びとは市民社会はわからないし、近代的自我も生まれていない。如何に進取の気鋭はあっても、20歳の俊英であっても、自我を描くことは困難。なにしろ真似する見本はない。
ここでは太平記にでてきそうな挿話を使って、近代風な装いをつける。そうすると、行動と発話しかない古代中世のキャラが内話をするようになる。自分を相手に会話することで、よくないこと、やってはいけないことへどんどんと転落していくのだ。昔の話をロマン派が再話する際に、キャラに内話をさせて「深味」を持たせるのは、この世紀にもあった。
2011/12/27 フランス古典「トリスタン・イズー物語」(岩波文庫)
2022/02/17 夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(新潮文庫) 1905年
思いがけずも、この国の若い文学青年も果たした、とみるべきか。幸いと思うのは、内話があっても煩悶や苦悩に閉じこもってしまうことがないこと。盟友二葉亭やのちの漱石がはまった罠には捕らわれなかった。
では、山田美妙の実験は自然主義リアリズムの風潮で雲散霧消したか。そんなことはない。このつたない小説を読みながら、題材といい文体といい、のちの国枝史郎の伝記小説や岡本綺堂「玉藻の前」の怪奇小説を思い出した。さらにはるか離れて、石川淳「六道遊行」もあった。文学の「本流」(とはうさんくさいが)から離れたジャンル小説の開祖のあたりにこの小説はあった、とみた。
1887年作。とはいえ作中に「自然淘汰」のことばがあり、なるほどダーウィンの進化論はすでに明治20年代にはこの国に伝わって共感をもって受け入れられていたのかと知る。また中の部では母が武士(もののふ)の妻の心得を説いたり、匕首には魂がこもるなどと娘に言わせたりしていて、武士道の影響は国民に普及していたのだとも知れる。