2024/11/01 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)第2部9.10 舞台劇のようなシチュエーションコメディ 1871年の続き
ここまでの1000ページをかけて貼りまくった伏線が第3部で回収される。章ごとに大事件が起きて、人が右往左往し、死体が残される次第になる。極端な思想を思考していたものたちは、思想通りに行動してにっちもさっちもいかなくなる。深刻な対立が起こり、互いに胸倉をつかみ合うくらいに憎悪と恐怖が高まる。
およそ過去の文学に書かれたことがないような緊張した場面ばかりが書かれるのに、読書中は能天気な陽気さが漂っているように感じる。それはステパン氏、レンプケ、ワルワーラ夫人、ユリア夫人といった親の世代がいずれも戯画化された滑稽な人物であるから。1840年代の自由主義のブームの渦中にあった人たちが1860年代の政治の時代において「時代遅れ」とされているから。さらに極端な思想を思考するものらは現実に置いて不器用であり物知らずで人との交友関係に問題があるから。これまではピョートルがひとりで道化役を担ってきたが、このあとではスタヴローギンもシャートフもキリーロフも滑稽な仕草を何度もみせるだろう。



第3部
第1章 祭り 第1部 ・・・ あれ(第2部第10章)から二日後、ユリア夫人が主催する祭りが始まった。のっけから剣呑な状況で、上流から中産階級の人たちは浮かれていたが、貧乏人や浮浪者、陰謀家たちがひそかに集まっていたのだった。開場するときにはごった返しているうえに酔っ払いがうろちょろして騒ぎを巻き起こす。午後の文学の会でも会場がすし詰めになっていて、何か興奮した気分が漂っていた。リプーチンが悪ふざけの戯れ唄を朗読して雰囲気は下卑たものになり、カルマジーノフの講演は30分以上の長たらしい退屈なものになり、ついにヤジが飛ぶ。喧騒する聴衆の前にステパン氏がでると、ヤジが途絶えず、興奮した聴衆は席を離れて舞台に殺到し、大混乱になる。
(この章もドスト氏の技術を楽しむところ。人が集まり、次第に興奮し、混乱し、収拾がつかなくなるまでの筆致のすごいこと。ピョートルはこの日、姿を隠していたが第2部第8章に集まったサークルの面々が時に応じて聴衆を挑発し、雰囲気を剣呑なものに変えていく。祭りをぶち壊しにして、街に騒乱状態を作るのが彼らの目的だろう。)
第2章 祭りの結末 ・・・ 失意のステパン氏は「人間といっさいの縁を切った」と嘆き、街をでていく。ユリヤ夫人のところにはピョートルが顔を出し、夫人に叱責されているが、いわんこっちゃない言っておいたでしょうと弁明。その席でリザヴェータが帰宅途中に突然スタヴローギンの家の馬車に乗り換えて、マヴリーキーを振ってしまった(レンプケ同様にまぬけな寝取られ男になってしまう)。
夜の舞踏会が始まったが、上流階級の人は出席せず、酔っ払いや貧乏人ばかりが来ていて、ひどいありさま。カルマジーノフ演出という「文学的カドリーユ」という寸劇だかパントマイムだかが行われたが、支離滅裂の退屈なできに叱声と失笑が飛ぶ。そこに「火事だ」の声。川向うで大きな火事が起こり、レンプケは出動する。その際に、「舞踏会は放火の目的で開かれた」と全員を拘束するよう命じた。折からの風で勢いが強かったが、消防隊や応援のために4分の1が焼けただけで済んだ。現場でレンプケはヒステリックに叫んだが、誰も命令を聞かない。しかも飛んできた板切れが頭にあたって失神してしまう。それで政治的生命がなくなった(すでに後任が派遣されるという噂があった)。
火事の火元とは別に、離れた一軒家でも火事があり、そこからレビャートキン大尉とマリヤと女中が切りこされているのが見つかった。その家はスタヴローギンが借りたものであることから、スタヴローギンの関与が疑われた。
読み進めるほどに、本書「悪霊」は観念小説・哲学小説という感じがなくなっていく。むしろ「スチェパンチコヴォ村とその住人」以来の滑稽小説、風刺小説を書いているのだという思いが強くなる。閉鎖された町がおかしな人物に支配されていて、そこに外からやってきた風来坊が混乱と祝祭を巻き起こし、街の偽善と欺瞞を明らかにしていく。そういう風刺小説なのだ。ということはゴーゴリ「査察官」も「悪霊」のモデルになりそう。
この観が強くなるのは、親の世代がいずれも滑稽な人物たちであるからで、このキャラも恐らくモデルがある。おれが妄想したのはコンメディア・デ・ラルテのストックキャラたち。好色で威張り散らすだけの高官、嫌味で高慢な高官の妻、博学だが役に立たないことを言いたてる老学者、形式ばって四角四面で無能な官吏、喋りだしたら止まらない道化、自分のことしか関心がない無学な女性、ロマンスに明け暮れる詐欺師、弁舌が冴えて自己弁護ばかりの召使、おしゃまでいたずら好きの女中など。こういうのがコンメディア・デ・ラルテのストックキャラだが、類型的なキャラがある状況に投げ込まれた時に、キャラ通りのアクションをすることで自動的にコメディになっていく。そういう喜劇を1860年代ロシアに再現してみた。そんな意図が作者にありそう。上のストックキャラに当てはまりそうな登場人物をすぐに「悪霊」の中に見出せるのだ。
(記事はコンメディア・デッラルテと表記するが、自分は山口昌男の表記で覚えたので踏襲します。)
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2024/10/29 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)第3部3.4 火事を見た人たちは血を欲し、会議は踊り決定には逆らえない。 1871年に続く