odd_hatchの読書ノート

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中山元「アレント入門」(ちくま新書)-1 『全体主義の起源』『人間の条件』『イェルサレムのアイヒマン』を読む

 アーレントの考えは「全体主義の起源」の解説書を二冊を読んだので、大筋はだいたいつかめたかなと思っていたら、とんでもない大間違いだった。別の人の読み取りを参照してみると、自分が読み取れなかったこと・実は重要であったことが大量にあることがわかる。下にまとめたサマリーもさまざまなことを洩らしています。なんと深い思考をしていたのか。知るほどに感嘆の念が沸き上がる。

序章 インタビュー「何が残った?母語が残った」とアレント ・・・ 1964年のテレビインタビューを手掛かりにアレントの主要著作を検討する。「全体主義の起源」では、普通の友人がナチスに同一化(均斉化と訳す)することの問題(ハイデガーのような知識人はかんたんに均斉化するので驚くことではない)。「人間の条件」では、世界と公共性について。共通の世界が失われると、人間は孤立化し、均斉化を起こす。それに抗するには「公的な領域で冒険する」ことが大事であり、それは話すこと(思考することではない)と何かを始めることであるという。「イェルサレムアイヒマン」では悪の凡庸さと罪について。アイヒマンの凡庸さを弾劾するのではなく、普通の市民が均斉化することでアイヒマンのような凡庸な悪を体現することを検討する。

第1章 国民のヒトラー幻想―『全体主義の起源』を読む ・・・ 近代はすべてのひとがもつ人権と政治参加や抵抗権などの国民のみの市民権(シティズンシップ)を作った。国民国家はこれらをいっしょくたにし、後者の市民権を一部の民族に付与し、それ以外の少数民族や無国籍者には与えなかった。イギリスとフランス以外の国民国家では国民(ネーション)と国家(ステート)が一致しないので、種族的なナショナリズムができる。それは根無し草の民族のもので、汎民族主義を生み、人権を否定した。そこから生まれた全体主義国家では、少数民族(西洋では特にユダヤ人)を排除し、あいたポストにマジョリティを埋めたが、これは恩恵であり、同時に犠牲の上で昇進したのは屈辱感と罪責感をうみ、払拭するために体制に対する忠誠心になった。ナチスソ連(排除されたのは粛清された党員)でみられる(これは日本に当てはめられるか?)。また少数民族(マイノリティ)は自国から排除されたが、隣国は難民を持て余して、人権を無視し法の保護下にいれないようになる。とくに無資産・貧困にすることで隣国もまた排除するようになり、再度送還された難民・無国籍者を全体主義国家は余計者として処分できる。人権を無視してきた周辺国はこのような「処分」に抗議できなくなる。以上の政策が道徳規範の喪失になる。
 19世紀以降に現れた現象に「大衆」がある。大衆は、人数が多すぎるか、公的な問題に無関心であるために人々がともに経験し、ともに管理する世界に対する共通の利害を基礎とする組織(政党、利益団体、自治組織、組合、職業団体など)に、自らを組織することができない人々の集団である。その特徴は他者から切り離された「孤立」、すなわち公共的な活動から切り離され、他者と活動することを知らず、公的領域で活動できないことにある。全体主義運動は大衆を運動に動員する。
(「全体主義の起源」があつかう期間は長い。他の解説書(川崎修「ハンナ・アレント」(講談社学術文庫)、牧野雅彦「精読アレント全体主義の起源」」(講談社選書メチエ)では主に19世紀に注目し、植民地政策から全体主義が生まれるところを詳述する。本書では20世紀の全体主義にだけ焦点をあてる。それからみえるのは、ナチスユダヤ人棄民がその後の難民問題の基本になっているから(まあ、そのまえにトルコによるアルメニア人虐殺などあるが)。日本の入管も他国の難民・無国籍者の人権を無視し法の保護下に入れない。なので収監中の難民が入管職員によって殺されたり死ぬまで放置される。入管は難民を送還させたがっているが、それは全体主義国家の棄民政策に加担することなのが本書でわかる。)

第2章 公的な領域の意味と市民―『人間の条件』を読む ・・・ まずは、「人間の条件」の「社会」の説明から。社会(ソシアル)は人が集まって暮らすことではない。私的でも公的でもない領域は市民社会以後に登場した。ルソーやホッブスの社会契約論は社会の登場を基礎付けるもの。同時代のアダム・スミスらの古典経済学はアレントの活動を想定していないが、彼ら以後の経済は社会の存在なしには成立しない。
社会の特長は、
1.人びとが顔のない群集。身分・役割・位置が流動的な根無し草。
2.ひとつの意見とひとつの利害に集約される画一主義。
3.徹底した相対主義。絶対的なものの価値を認めない。
4.官僚制が統治制度。誰が権力を持っているの変わらなない非人間的な統治で、無責任
5.社会的な領域が大きくなり、私的領域を侵食する。父権などの家族で権威が喪失し、平等が希求され、親密さをもとめる。
6.公共的領域が侵害される。労働中心の共同体になる。区別と差異が個人の私的な問題になり、社会的な差別を原則とする。
このような社会で重要なのはこの資質ではなく、所属する集団の差異になる。
(「全体主義の起源」の解説書を読んで、差別の起源は植民地経営から生まれたものだと思い込んでいたが、それだけではない。近代の市民社会そのものが差別を原則としていた。その社会が巨大化する。その一方で、私的領域が縮小する。家事労働、冠婚葬祭などの外部化に典型的。公的領域も縮小する。なにしろ群集は大衆化して、政治的に中立で無関心になるから。なるほど植民地経営は民族や人種差別・レイシズムを生むが、高齢者・障がい者性的少数者その他の国民に向けた差別の起源にはならない。このような群集による社会は、前の章のように大衆になり、孤立化し、社会に蔓延するレイシズムを容易に受け入れる。)

 

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