高校生のときに文学史の知識を得るために買った。教科書の後ろにあった文学年表をなんども見ていて(次に買う文庫を決めるため)、さらに本書を読んだので現国の文学史は完璧でした。以来半世紀を経ての再読。いやあ懐かしい。

とはいえ内容には不満。先に書かれた「風俗小説論」を罵倒してしまったように、不備だらけでした。
本書によると、明治維新以降の日本の近代小説は、自他ともに「無用の業」「アウトロー」「落伍者」と認める文人によって行われた。彼らは真実を表現しようとしたが、世の中に無視されたので閉じた別世界を作った。周囲の地盤(まあ共同体とか地縁とか)を無視。西洋の規範に沿った新しい真実な生き方を求める手段で、それを記録したのが日本の近代小説。社会から無視されているので、彼らが行っている芸術運動は修養であり、倫理的情熱をこめるにたるものであり、社会の良心であるべきものだった。これは誤った袋小路に入ってしまった。
中村の認識は皮相だな。と思うのは、文学や小説を社会が排除する理由を検討していないから。維新はもともと復古で皇学と漢学を奨励するものとして文化政策をはじめ、すぐに洋学派が圧倒した。その後の西洋化は実学重視、官僚養成優先で進んだ。そこで小説を含む西洋の芸術は後回しか無視されたのだった。この経緯は中山茂「帝国大学の誕生」(中公新書、講談社学術文庫)を参照。帝国大学では法科系が最優先。文学、哲学などは出世とは無縁の学部。のちに一高-帝大法学部-官僚という出世コースが確立すると、ますます文学は無用の学となったのだ(研究者はポストがあるけど、実作者にはない)。中村は社会が文学者と小説を無視した理由を書かない。小説が袋小路に陥った理由を文学者の内部に求めるが、それでは説明として不十分。
そうしてみると、文学史は教養主義の定着とか帝国大学の運用と絡めた社会史として描いた方がよい。文学者の「閉じた別世界」でおきた運動としてみては、いろいろな見落としがあるのだ。維新を実体験した人たちは、小説に関心を持たなかった。小説が修養であり倫理的情熱の対象であると思うようになるのは、維新を経験していない世代。なので、明治20年1887年以降になると小説が問題になってくる。彼等は幼少期から文明開化の教育とプロパガンダを受けてきた世代で、西洋に対するあこがれ(同時に明治政府による反江戸を刷り込まれている)をもっている。そこから小説に対する憧憬と物神化(フェティシズム)が生まれてくる。
本書の再読で最も注目していたのは、明治初年から二葉亭がでてくるまでの20年間。そこでは文学が不毛とされてきた。翻案の政治小説や西洋の風俗を伝える小説がよく読まれただけとされる。中村のこの見方は皮相。この時代は廃仏毀釈があり徴兵税制反対の一揆が頻発し自由民権運動がおきた政治の時代だった。目前の政治的要求を通すためには、宣伝パンフレットやプロパガンダの檄文や啓蒙のチラシが優先されるのであり、人生をどう生きるかという物語は後回しにされる。文筆家はいまのことを書くのに忙しい。それは名誉革命後のイギリス、革命時のフランス、独立戦争渦中のアメリカがそう。政治パンフや政治哲学の著作はでても、芸術活動はあとまわし。人びとを集め高揚させる機会芸術が優先される。若者も政治運動にいそしむ。なので、芸術活動は停滞する。
しかし、政治運動はどこかで決着がつく。日本では明治の元勲たちが予定していた国会開設と憲法発布がそれ。政治運動の当面の目標は実現し、闘争の荒廃よりも平和と安定を望むようになる。民衆的な運動はここでおしまい。目標を達成した代わりに、政府の弾圧を受け入れる。永久革命を目指すものたちは挫折する。
そのような事態において政治運動に夢を持っていた世代は、いっせいに内向化し自我に目覚め、西洋に倣って小説を書くようになる。こういう政治の挫折が文学の隆盛になったのだ。おもしろいのは小説を隆盛に導いたのが、政治的には無色で無関心な一見ちゃらんぽらんに見えるひとたち。坪内逍遥や二葉亭四迷といった人たち。坪内の「小説神髄」が革命的なのは、「小説」という言葉の価値をひっくりかえしてしまったことだ。東洋では「小説」は軽いもので、詩や史より劣るもの。それを西洋の概念を注入して「小説」を重いものにし、人生をかけるべきものにしてしまった。坪内が小説をこのように規定したのはそのあとの文学者の桎梏になる。法科系学生や卒業したエリートは社会で厚遇されるのに、文科系は冷遇され無視される。その社会的な待遇の差が法科系エリートへの嫌悪や憎悪になっていて、立身出世をめざすものや拝金主義者が文学者の憎悪の対象になったのだ(漱石の初期作品がその例)。日本の小説は官製の立身出世を憎み、貧困に倫理的な意味を与えるという意識から生まれたのだった。同時に政治的に挫折して、どの共同体にも属していないという孤独も抱えている(しかし知的エリートの自尊心と女性嫌悪を強く持っている)。こういうコンプレックスが日本の近代小説を進めた原動力だった。
(柄谷行人「日本近代文学の起源」講談社文芸文庫をみると、近代小説の担い手の多くはキリスト教を経由しているとのこと。明治時代にキリスト教は新しい思想とみなされて多くの若者が参加した。柄谷はそこでキリスト教の一神に服従することで「主体」を発見したことを指摘している。肉体嫌悪と精神優位もキリスト教の教義に由来するとのこと。近代小説のストイシズムや倫理的潔白、主体たる〈私〉の罪の告白などはここから説明できるとの由。なるほど、です。)
小説を志す若者は少数。大多数は出世や恋愛やスポーツやファッションなどに関心を持っていて、芸術活動には無関心。小説を志すことは、政府や権力からの圧力と世間の無視に対抗することだった。
では世間は物語を不要にしていたかというとそんなことはなく、読物はたくさん売れた。これは「小説」のような社会や自己の変革あるいは世間へのコンプレックスを持たない。むしろ政府や国家の意向を組んだ心地よい物語を提供する。明治10年代には西洋の翻案小説が売れ、明治20年代になると復讐や犯罪の物語が読まれる。今でも残っているのは黒岩涙香。
(小説が世間や「周囲の地盤」から浮いていた、根づいていなかったのは、官製の言文一致体の文体を使用していたこと(なお言文一致体は民間から出たという説もある。たぶんどちらも正しい)、およびロシア文学などの海外文学に範を取っていたこと。そのころ流通していた読物とはぜんぜん異なる。なのでインテリか新し物好きにしか届かない。新しい小説がたくさんでまわりベストセラーもでて読者が啓蒙されてからでないと、国民は手に取らなかった。明治時代の小説をこの国の居住者がこだわりなしに読むようになったのは、敗戦後の教育改革で現代国語が教えられるようになってから、と妄想。歴史上の位置づけができて伝統を意識するようになってからではないかしら。)
以上は俺の見立て。中村の論では社会と政治とのかかわりが見えてこないので補足した。坪内や二葉亭が「小説」に過剰な意味付けをしたので、かえって日本の読書層や教養階層が見えなくなってしまった。まさに世間から遊離した狭い「閉じた世界」の運動に矮小化している。
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