odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

大江健三郎/筒井康隆/井上ひさし「ユートピア探し物語探し」(岩波書店)

 1980年代前半は自分にとっては文学において懐かしい時で、1981年大江健三郎同時代ゲーム*1、1982年井上ひさし吉里吉里人」、1984筒井康隆「虚航船団」の初出にいあわせて、ほぼ同時に読み大いに感銘を受けたのだった。
 さて、この本は上記3名の鼎談集。なぜこの3人が集まったかというと、岩波書店が大江や山口昌男中村雄二郎などを編集者にして「ヘルメス」という季刊の雑誌を作ったためで、その創刊号にこの三人の鼎談を載せたのだった。この鼎談はほぼ2年置きに行われ、合計3回の記録がこのような本にまとめられた。
 科学やビジネスの世界だと、数名の参加する鼎談やフォーラムではなんらかの同意やステートメントの発表があったり、あるいはパネリストの意見の差異などが明らかになるのだが、このような文学者による鼎談ではステートメントの発表とか同意にまでは至らないらしい。なにしろ「物語」の一語が何を示すものか、パネリストごとに違うという事態も生じるのだ。それぞれ言葉の専門家であるので、言葉の意味するところもいろいろあるらしく、何かの同意に至るというのは困難なことらしい。なるほど文学者は政治運動に参加することはできても、文学者による政治的ステートメントの発表はとてつもなく難しいのだろう。反核運動とか湾岸戦争反対などの運動とか、永山則夫に対するペンクラブ(だったか)の対応とか、筒井康隆の断筆宣言に関してとか、時々出てくる文学者の政治行動というのはなかなか難しいと見える。
 さて、文学理論のことはよく知らない自分としては、この鼎談のところどころに現れたサジェスチョンを並べることにする。
・現代の問題に対する解決のひとつとしてユートピア(ないしディストピア)を提示するのは文学の役割。または過去においてモデルとする時代、場所を提示するのも文学の役割 → それによって進むべき方向のイメージを共有し、議論することができる。
・現実において捨てられているものが文学の場では新しいもの、読者を挑発するもの、懐かしがらせるものとしてよみがえらせることができる。
・自分自身だけを読者として想定している文章、自分自身を納得させるために書かれた文章は面白くない。
・作者が言葉に鈍感であると、読者の想像力を働かせることができない
・言葉の活性化において「笑い」は重要(ベルグソン的な優越理論では「笑い」は捕らえきれない)。また、おかしな人物・奇妙な状況を作ることもOK
・物語の面白さを回復しよう。この場合では、次に何が起こるか予想できない、読者の期待とおりに進まないということ。そして読者を励ます方法(メッセージでも方法でもOK)を入れ込もう。
・日本の戦後文学の作家は、「死」について考察してきた。彼らが推理小説に熱中した理由のひとつは、論理的な思考をすることであり、もうひとつは死が日常的であったから。
・昭和の最初期に生まれ、戦争や経済成長、テクノロジーの変化、流行を見てきたわれわれ(鼎談の出席者)は幸福だった。それを新しい若い読者に伝えることは重要。
 この鼎談は2年置きに行われ、最後には自分らは次に何を書くかというのを表明し、それを実現していくことになった。そうしてみると、最後の鼎談の2年後に大江健三郎が書いた「治療塔」「治療塔惑星」はこの宿題というか念願を実現するものだったのだな。「治療塔」シリーズにある懐かしい過去や大量生産を否定する「プリコラージュ」生産、1945年以降のこの国の歴史をなぞるような21世紀の歴史というのは、この鼎談で彼が発言したことを小説化したものなのだといえる。

*1:正しくは1979年です。自分の初読が1981年