odd_hatchの読書ノート

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鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 II」(思想の科学社) 1967年、リベラル派が戦争体験を語る。第2巻も戦前派。60年安保は重大な体験。

2012/06/30 鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 I」(思想の科学社) の続き。


都留重人 ・・・ アメリカは戦争の前から日本を対共産主義の橋頭堡とすることを考えていて、占領政策もその方針で行われた。このとき、日本の官僚制度をそのまま利用した。昭和22年ころからアメリカの占領政策が民主主義の実験から対米従属を要求するように代わり(転換点は昭和24年の公務員法の制定)、そこでさらに官僚が行政に力を持つようになった。官僚は退職後に天下りするか保守党の代議士になるかというコースもすでにできている。地方自治体で革新派の首長が生まれているが、期待するとともに中央集権の制度ではできることは限られているだろう。
2012/05/19 都留重人「現代資本主義と公害」(岩波書店)

林屋辰三郎 ・・・ 自国の文化を大切にする国にしよう。明治100年であるが(対談は1967年12月)、明治維新から学ぶものがある。ひとつは条約改正で明治の全部にかかったけれど、政府も国民も関心をもって作業した。もうひとつは明治4年の解放令。これに匹敵する政策や条例をこの国の政府はだしていない。

大久保忠利 ・・・ 軍隊は厳密なコトバを使わない。上で威張っていた人びとの命令にただ服従させるために言葉を使っていた。理解も説明もなく、丸暗記するだけ。それは戦前戦中の日本社会での言葉の使われ型であった。その言葉観の底には言霊言語観がある。この人は中国戦線に送られた兵士の一人。帰国後は新制中学の教員組合設立活動を行った。

大江精三 ・・・ いいたいことがよくわからん。科学的な実証をベースにする哲学が必要だよ、日本をユニークと見る見方は違うんじゃね、英国みたいに保守と革新の2政党が交互に政権をとるようになるのがいいね。井筒武彦の仕事は面白い。

井上清 ・・・ 戦争中に敗戦後のこの国をどうするかを考えている人はほとんどいなかった。戦後の共産党の指導にはずいぶん問題がある。とくに党員のエリート主義はいけない。革命は大衆、人民がする。だから60年安保のときに前衛の指導力が問われた。人民から権力に対抗する力が生まれたのに流れ解散で力をそいでしまった。ではどうすればいいかというといい知恵はないのだが(だから、国会と首相官邸を24時間×365日包囲すればいいと、あれほど・・・)。
2015/03/17 井上清「自由民権」(岩波現代文庫)
2015/04/03 井上清「天皇の戦争責任」(岩波現代文庫)

葦津珍彦 ・・・ 神道家からみると戦前・戦中の天皇制はドイツ観念論風のことばで飾り立てたもので、まったく正統・正当ではない。戦後の憲法では財産処分・寄付受け取りなどに国会の承認を必要とするなど、天皇家禁治産者と規定している。明治の華族制度はいかん。維新の元勲たちは自分を華族(貴族)にしないことが必要だった。

乾孝 ・・・ 戦争にでたが胸部疾患で除隊し、敗戦は江ノ島。戦後、大学で心理学の研究会を持った。日本人の精神構造に興味があり、発達心理学をやったが、そのとき保母さんや学生と一緒に現場で学問ができたのはよかった。戦後の男女同権はよいものだよ。

清水幾多郎 ・・・ さて問題児の登場だ。敗戦は東京で迎え、ワーワーと泣いた。そのあと、「二十世紀研究所」を立ち上げ、内部問題で崩壊。そのあと「平和問題談話会」をつくり、1950年代は反基地闘争に参加。60年安保では主要な論客。安保を人民的な関心ごとにしたのは、全学連の無鉄砲・無定見な荒事のため。「現代思想研究会」を立ち上げ、その後は研究活動。1968年ころから保守派論客として論文を発表。なんだそうだ。

奈良本辰也 ・・・ 占領軍の日本認識は「講座派」とおなじだった。自分の歴史研究は講座派批判に端を発しているので、どうしても占領軍に批判的になる。占領の経験がこの国のひとびとに歴史性とかナショナリズムの再発見となった(例、歴史建造物や遺跡の散策など)。学問でも運動でも百家争鳴の状態が必要。明治維新とその後を支えたものに、各地にいた下層インテリの存在がある。

遠山啓 ・・・ 敗戦後すぐの東京工業大学では講師のほうの準備が整っていなかった。そこで学生が自分で講師を見つけ、講義をしてもらい講師に直接報酬を払うということをやっていた。昭和24年くらいまでそんな雰囲気があった。今(1968年)では大衆団交で大学と学生の話し合いをしているが、学生が大学をどうしたいかのプランがないので、改革が進まない。小学校の教育がめちゃめちゃなので教師と話し合いながら、改革を進めている。分数かける分数の計算を中学で教えるということもあったそうだ。

羽仁五郎 ・・・ 昭和8年と昭和20年に特高に逮捕され、8月15日は監獄にいた。その日に、俺と三木清を解放するために警察署に民衆が来るものと期待していたが、誰も来なかった。この日だけがこの国の革命が可能であったのに、人民はそれを見逃した。あと、戦時中の「ミケランジェロ」は野呂栄次郎とスペイン市民戦争のことを書いたのだとのこと。


 鶴見は対談の際に必ず二つの質問をする。「敗戦のときどこにいて、どういうことを考えたか?」「この20年(1967年から遡って)でどの出来事がもっとも重要と考えるか?」 1巻と2巻に登場する人は1890年から1920年にかけての生まれ。多くは兵士として戦場にいたし、国内にとどまっていても軍の仕事に関係していた。そのために、単純に解放・安心・われらの時代が来たという期待などを持ったわけではない。自分や家族のことを含めて、不安やそれまでの自分のあり方の反省があるようだ。あまりここらを強調すると、心理のことに物事を還元してしまうのでやめておく。まあ全員が重大事としてとらえ、学問研究を再開する動機にしているということが重要なのだ。
 後者の質問には、多くが1960年安保をあげている。これもまた、この国の人が余り体験・経験したことのない全国的で、内発的で、国家と国民を切実に考えて行動したという稀有な体験ということになるわけだ。人物がインテリ、教養人、アカデミシャンなので割引は必要ではあるが。とはいえ、彼らのような当時の中年から老年にかけての人たち(かつ所属する組織の主流派になっていない人)にとっては、戦後体験よりも戦争体験のほうが重要であるらしい。その感覚と戦後生まれの当時の学生とで、議論の接点が生まれることがなかった。そして学園闘争に機動隊を導入する決議に積極的・消極的に賛成し、権威によって自分の権威を守ることを選んでしまった。ある意味では、敗戦とあわせて2回自分の意思を裏切ったのではないだろうか。というような感想を鶴見もしていた。

  

2012/07/03 鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 III」(思想の科学社)