青空文庫に収録されている三木清の論文とエッセイから関心をもてそうなのを選んで読んだ。
マルクス主義と唯物論1927.08 ・・・ 新カント派からハイデガーを経由してパスカルに至った哲学者(「読書遍歴」)によるマルクス主義の解説。通俗的な説明に、さまざまな哲学者の名前を飾ったものでした。三木は学究だったので、この論文に出てくる「生産」も「労働」も空虚このうえない。経済学の知識に欠けているので、説明も不十分。マルクス主義の可能性を唯物論で探るなら、柄谷行人の「探求」を参照したほうがよい。
認識論1930.01 ・・・ 認識論という切り口で見た西洋哲学史。プラトンからハイデガーまでの主要な哲学者の考えがまとめられている。これで勉強するより、21世紀に出版された新書を読んだほうがいいです。
ゲーテに於ける自然と歴史1932.05 ・・・ 「ゲーテは非歴史的と言われるが、十分に歴史的意識を持っていた」を主張する論文。もともとは岩波書店の「ゲーテ研究」1932年に収められたもの。岡崎勝世の「聖書vs世界史」と「科学vs.キリスト教 世界史の転換」(講談社現代新書)を読んだ後だと、この論文は不満ばかり。歴史の書き方が18世紀の末から変わりだして、史料に準拠する歴史学が19世紀半ばにできた。なのでまず「歴史」の意味が20世紀とは異なる。三木が存命中の歴史学からみても、ゲーテの歴史意識は歴史学にはあわない。そのうえゲーテの原型論や神話論、色彩論などは当時の科学から見ても奇妙なのだ。通常の歴史学の流れに無理して収めようとするより、異端の歴史思想家として当時と現在の歴史学との差異を強調したほうがよかったです。あるいは異端の科学者として描いてもよい。この国の戦後の科学史はゲーテをほぼ無視していたので、この要約はよく整理されています(ただあまりに堅苦しい文体なので読みにくい。もっと柔らかく書けばいいのに。哲学者が判りやすい文体を持つようになるのはこの半世紀あと。)
といいながらも、日本人がゲーテを読みだすようになったのは、1880年代にドイツ留学中だった森鴎外あたりが最初。それから50年で全集がでて、ちゃんと読み込めるまでになったことに驚きと寿ぎを送りたい。
ゲーテは時間にも独特な意見を持っていた。現在のみが実在的で現在は永遠である。たとえば以下のことば。
「ただ永遠なもののみが我々にとつてあらゆる瞬間において現在的であり、かくて我々は過去の時間について悩まない。」
なるほど「ファウスト」の最後はこの考えが前提にあったわけか。
自分がゲーテに冷淡なのは、以下を読んでいるから。詩や小説はおいておくとして、政治家や科学者としてのゲーテは問題だらけと思うのだ。
2016/09/20 ゲーテ「色彩論」(岩波文庫)-1 1810年
2016/09/19 ゲーテ「色彩論」(岩波文庫)-2 1810年
2023/05/30 ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(新潮文庫)-1 1774年
2023/05/29 ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(新潮文庫)-2 1774年
2023/05/13 トーマス・マン「ゲーテとトルストイ」(岩波文庫)-1 1922年
2023/05/12 トーマス・マン「ゲーテとトルストイ」(岩波文庫)-2 1922年
2023/04/11 トーマス・マン「永遠なるゲーテ」(人文書院) 1948年
<追記> この後ラヴジョイ「存在の大いなる連鎖」とゲーテの「ファウスト」を読んだ。「ファウスト」が「存在の鎖」説の文芸化であることを確認。なので、三木がゲーテの考えをまとめようと四苦八苦しているのは、どれも「存在の鎖」説で説明が可能です。三木が頑張って解説しようとしていることは、別の説明が可能(といって俺のような読みをしている人はたぶんいない)。
読書遍歴1941.06-12 ・・・ 1897年生まれの三木清の読書から見た自叙伝。田舎の成績優秀者が選ばれて東京と京都のエリート校にはいり、故郷に帰らないで学究生活者になるまで。彼が振り返る自分の半生は、まさに日本の教養主義者の典型だった。日本の教養主義の特長は下記エントリーを参考に。
竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-1 2003年
竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-2 2003年
後者のエントリーで、俺は架空の教養主義者の半生を描いてみたのだが、まさにそのとおりの生き方をしたのが三木清だった。このエッセイからわかるのは、1910年代には中学生にも弁論や演説などの雄弁活動が普及していて、いっぽう宗教・文学・哲学を読んでいた。政治にはほとんど関心がない(実際、大逆事件ものちの関東大震災での大杉栄虐殺などもでてこない)。内省的と本人はいうが、日露戦争後の検閲・自主規制のために政治的表現や社会問題の告発などがまったくなくなっていたのに自覚がなかったのだ。それが1920年代になると社会問題に関心を寄せるようになる。そのことは「読書遍歴」には書かれていない。発表時期が1941年であれば、雑誌連載に書いても通るはずがない。そういう自主規制が働いたのか、後半はドイツ留学の思い出に終始する。ということは1925年ころまでで記述は終了していた。書いているころには政治運動にも参加していて、難しい立場に置かれていたのだろう。
10代で読んだときは、出てくる本や学者の名前に幻惑されたが、半世紀近くたっての再読では、旧知の人を紹介されているような気分になった。
如何に読書すべきか1938.12 ・・・ 中堅の学究による読書指南。指南の内容は前回のエントリーを参照。40歳でこれを書けるのは、読書の達人としての自信があるからでしょう。
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20110502/1304286876
たぶん編集者からの依頼で方法だけを書いた。なので「如何に」とタイトルをつける。「なぜ」は問わない。それに対する答えらしいのは、「人生を豊富にする」「心に落ち着きを与える」くらいしかない。当時の教養主義は「なぜ読書するか」という問い自体が無効だったのだろう。高等学校や大学の学生は読書するのが当たり前、複数の外国語ができるのは当然だった。それが可能なエリートしか学生になれなかった。
今日では「なぜ」に応えないといけない。でも今の日本の知識人は十分にこたえていないと思う。それに対する文句と俺の考えは下記のエントリーに書いたので繰り返さない。
桑原武夫「文学入門」(岩波新書) 1950年
外山滋比古「思考の整理学」(ちくま文庫)
斉藤孝「読書力」(岩波新書)
「読書と人生」新潮文庫に収録されていない論文をいくつか読んだが、満足できるものはひとつもなかった。この人は書いたもので評価するより、どう生きたかで評価される人なのだなあ。あの悲惨な死と盟友林達夫が報告するおっちょこちょいな行動性向がうまく合わないので、この人はよくわからない。