「イェール大学出版局 リトル・ヒストリー」という叢書のひとつ。本書は放送大学の科学の講座「初歩からの物理」「初歩からの化学」「初歩からの生物学」を受講(見るだけでもよい)する際の優れたサブテキストになる。それぞれの講座では、なぜその考えが生まれたのかを説明するために、科学史を取り上げる。その知識は点になるので、本書で科学史の流れを押さえるとよい。そうすると、なぜ我々はこの講座で扱われることが基礎知識であるかと、それぞれの学問分野がどのようなことを掘り下げているのかのつながりがみえてくる。原子の考えから、分子のアイデアになり、原子構造を研究し、原子と原子の結合から有機化合物の合成が説明でき、生物の活動の理解にいたる。それぞれの知識は別々に教わるが、科学史を学ぶと学問の間のつながりと、過去から現在までの流れがわかるよ。もちろん大学生や高校生も読みましょう。

世界の成り立ちを知りたい、それを生活の改善と未来予測に使いたいという願望がとても昔からあった。話を簡単にするために、ヨーロッパだけを取り上げる。この地域では古代ギリシャ、ローマ、キリスト教の国教化の時代から、物質でできているこの世と霊の集まりであるあの世(異世界)を分けた。この世はあの世の霊や魂、〈何か〉の流出で励起された物質が生命になり、この世の在り方で霊があの世に行くと考えた。この世とあの世はつながっているが、この世の成り立ちや構造や運動はあの世が操っていると考えた。この考えは万能。天体現象から地上の生命・物質までこの世のできごとはあの世のせいで説明できるし、人間だけが知性をもっているのも特別にされたからと言い抜けできるし、死後の魂の行方にも安心できる。神学と哲学と科学(自然哲学といっていた)が一体化している。これを受け入れれば、人はどんなことにも安心できる。
でも、紀元前500年ころにテキスト化された考えは、人間の観察が精緻になるにつれて、観測結果と合わなくなる。暦がずれ、想定外の現象がおき、海を横断する移動ができるとヨーロッパの人間とは異なる人間がいることを知る。この世とあの世の考えではこれらは説明できない。
そこで、科学の考え方が生まれた。本書を読んでの感想だが、科学の考え方はふたつが重要。ひとつは、この世にはまだ発見されていないことがたくさんあり、できごとは物質の構造と運動で説明できるという考え。それ以外の「力」や「流れ」は採用しない。もうひとつは、起源やなぜは問わずに、系譜とどうやってを考える。ニュートンは万有引力がどこから来るのかを説明しなかった。何かを説明できる規則や公理をみつけてもまだわかっていないことがたくさんある。さらに考えを進めていこう。それを数百年続けたら、すごい成果がでてしまった。
霊に頼らないで物質だけで説明しようという転換があったのが、自然哲学から科学になった理由。ひとりの人の提案でそうなったのではなく、16から17世紀にかけての科学革命で多くの人が参加して、ヨーロッパ全土にひろまった。そこにはデカルトやニュートンのビッグネームが大きな仕事をしたし、知識を共有する流通網ができたのが大きい。教会以外の権力が科学運動の邪魔をしないで個人の自由を尊重したのもよかった。
なので、この意識と思想の転換が書かれたアリストテレス(5)、コペルニクス(11)、デカルト(14)、ダーウィン(34)の章が白眉です(人名のあとの数字は該当する章)。著者は科学のことだけでなく、哲学にも造詣が深い。俺らからすると、これらの章は凡百の「アリストテレス入門」「デカルト入門」などよりはるかに優れている。そういうタイトルの新書を読むより、こちらの20ページを熟読しよう。
(メモ。アリストテレスの章で「存在の大いなる連鎖」「自然の階段」が登場。ラヴジョイ以外の本で初めて見た。四大元素:土・水・風・火は地上の元素で、エーテルは天界にしかない第五元素。だから光と神の善性を伝える媒質とされる。19世紀末までエーテルがあるとされた。アリストテレスはあらゆる事物や現象の存在・変化を完全に説明するために「四原因説」(四原因論:質料因・形相因・動力(作用)因・目的因))を主張した。力学と天文学は動力因を扱う学問。地球は物質が沈殿したところなので、宇宙で唯一変化や腐敗が起こるところ。ラブジョイにつなげれば、地動説によって変化や腐敗がおこるのは地球以外の惑星でも起こると考えが大転換した。著者によれば、天動説で太陽を中心に据えることは地球が太陽なしには生命が存在しえないと認めることなのだそう。なるほどここからプラトンの流出説がすたれていったのか。)
西洋の啓蒙書は読んでとても面白い。本書でも、冒頭の一段落は誰もが知っている、当たり前のことから始まる。あるいはすでに知っている問いかけから始まる。そこから焦点を絞って小タイトルの話題に入り、取り上げたビッグネームの生涯を記述すると、いつのまにかとても深く切り込んだ話題になっている。すでに知っていると思っている知識や情報が著者の解釈でリフレッシュされ、他の知識とつながる。最後にはこれまで考えたこともないような問いかけが行われる。優しいことからはじめて難しいことに至るストーリーテリングがすばらしい。そのうえ博識。医学史の専門家ということだが、物理から生物学まで遺漏がない。哲学と歴史にも詳しい。西洋の知識人がまんべんなく勉強して知を楽しんでいるのがわかる。(たぶん複数人のスタッフとミーティングしながら書いたと思う。一人ではちょっと無理。)
翻って日本の科学史本をみるととても貧しい。本書のような愉しさがない。専門的に過ぎ、学問の広がりに欠ける。読者への啓発をおろそかにし、自分の考えのまとめとして入門書を書く。一人で書くからそうなるのだろうし、自分語り以外の作文を書かないからだろうなあ。
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