odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ルネ・デカルト「省察 (懐疑主義の系譜)」(KINDLE版)-1 ヨーロッパ諸学の危機と方法的懐疑。デカルトは「存在の大いなる連鎖」を検討する。

 デカルトの「省察」で、16~17世紀の西洋の知識体系がいかに危機にあったか、その危機を克服するためにどんな努力をしたかがわかる。15世紀のイタリアルネサンスギリシャ古典の翻訳が進み、それを取り入れて西洋の知はとても強固なものになった。でも次の世紀では危機にであう。ひとつは、「大航海時代」でアメリカやインド、中国などの情報と文物が大量にはいってきたこと。アラビアの知識とは別のもっと知識が入り、西洋を凌駕しているものすら入ってくる。もうひとつは聖書の記述にもとづく世界史(普遍史)が困難になってきたこと。聖書の記述はあいまいで完全ではない。それにエジプトや中国の歴史の方が西洋よりも古い。西洋が世界で一番とは言えない。三つめは天体などの観測が進んだこと。プトレマイオスの宇宙像に反する現象が観測された。彗星、新星、木星の衛星、潮の満ち引き、金星の満ち欠けなど。従来の宇宙像では説明できない。約一世紀前のコペルニクス「天球回転論」1543年は天体観測に都合がよいように太陽が宇宙の中心としたが、それは真実であるらしい。聖書の記載には歴史にも自然現象にも疑わしく思うようになってきた。こうして「ヨーロッパ諸学」は危機になった。新しい情報と観測結果、従来のやり方による記述の不可能性、これらは従来の西洋の知では説明できない。


 新しい考え方と記述の枠組みが必要なはず。たぶん可能性は「地動説」にある。フィレンツェガリレオ・ガリレイはそれを主張する新しい本(「天文対話」)を準備していたが、1633年ローマ教皇庁は異端の考えであると有罪判決を下した。出版は禁止され、ガリレオは幽閉されている。判決文はローマ教皇庁から各地の主教庁に通達された。デカルトはそれを知って恐怖する。デカルトは、宇宙全体が一種の機械であるとみなし、物質的な現象を数学的な原理と機械の法則で説明しようとした。その本、「世界論」の出版をあきらめた。
 かわりに出版したのは「省察」1641年だった。
 たいていは「省察」を「方法序説」1637年の続きとして読む。でも、デカルトを取り巻く上の状況をみると、テーマはもっと広い。西洋諸学の危機にあって、デカルトは西洋の知の体系をどうにかしようと考えたのだ。「どうにかしよう」と曖昧に書いたのは、デカルトは西洋知の体系の再構築を目指したのか、あたらしいパラダイムを提案したのか、本書ではよくわからないので。ガリレオ裁判の影響で、デカルトは自分の考えをローマ教皇庁の眼につけられないように、どっちともとれるように書いているので。それは「方法序説」のときから。「省察」になるともっと曖昧になっている。たぶんわかる人だけわかればよいと思ったのだろう。韜晦の度が過ぎて、以後400年たってもデカルトの主張が何だったのか、判定しがたい(「方法序説」でも「省察」でもデカルトは、明晰で判定できることだけを真とみなしたといっているのに、なにが「真」なのかさっぱりわからないのだ)。
 デカルトの考えに踏み込む前に、中世からデカルトまでの知の体系を概観。それは「存在の大いなる連鎖」に基づく。詳細はアーサー・ラヴジョイ「存在の大いなる連鎖」を参照。簡単にいうと、世界(world)はこの世とあの世(異世界)に分けられる。この世は人間がいる有限で不完全な世界。でたらめや矛盾や罪が蔓延している。あの世(異世界)は永遠で無限で全知全能で自分以外のすべてのものを作った創造主または〈神〉がいるところ。あの世(異世界)は完全さが充満していてたえず生成されあふれていて、どこかからこの世に流れ込んでいる。流れ込んでる〈何か〉はこの世の物質と反応し、一部の物質は生物になる。本書のなかで

「私はあの『人間の身体』と呼ばれる手足の組み合わせではないし、その手足にしみ込んだ微細な空気でも、風でも、火でも、蒸気でも、吐息でもなく、自分が思い描くどんなものでもない (p.25)」

とあるのはその考えの反映。デカルトが否定している手足にしみ込んだ微差な空気や風、火、蒸気、吐息は当時の人たちが考えていた物質に流入する〈何か〉の譬え。単なる物質はこの世のどこにでもある。でも〈何か〉に反応・感応した一部の物質が生物となり、そのなかには神の似姿として生成した人間もいる。人間は神に近い。神の善性や愛にふさわしい理性や判断力をもっていて創造ができる。それゆえに他の生物(ちなみに当時は動物と植物だけ。微生物という概念はまだない)とは区別される。
 こういう考えでいたところに激震が起こる。この世に彗星や新星が発見されるなど、この世の宇宙の体系では説明できない現象が起こる。なぜそれは起きたのか。宇宙は神によって創造されたので、完全性を持っているはずではないか。秩序正しくあるはずではないのか。宇宙がそのように不完全で無秩序なものであるとすると、人間の認識も誤ってきたのではないか。デカルトがそう懐疑すると歯止めがかからない。あらゆる認識が疑わしい、あらゆる存在とされるものも不確かだ、この肉体ですら精神や魂にウソをついているのではないか。人間は神の似姿とされるが、それは単なる思い込みなのではないか。人間は神の創造物としては最下層の最底辺にいるのではないか。

 

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2026/01/13 ルネ・デカルト「省察 (懐疑主義の系譜)」(KINDLE版)-2 神は完全なのに、宇宙は不完全で無方向な運動をしている。その矛盾をデカルトはどないかせんとあかんという。でないと人間はゴミでクズでしかない。 1641年
2026/01/12 ルネ・デカルト「省察 (懐疑主義の系譜)」(KINDLE版)-3 本人には自覚がないパラダイム転換。後世の若い学者は振りかえって「省察」が革命であったのだという 1641年に続く