odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

レックス・スタウト「ネロ・ウルフ最後の事件」(ハヤカワ文庫) 1975年スタウト89歳(!)の作。ウルフもクレーマー警部も作家も疲れてしまった。

 1975年スタウト89歳(!)の作。結果として彼の遺作になった。

 日本語タイトルからすると「Nelo Wolf's last case」とでもなりそうだが、元タイトルは「famiry affair」。ここでファミリーとされるのは、ネロ・ウルフ本人に住み込みの助手アーチー・グッドウィン、同じく住み込みの料理人フリッツ・ブレンナー、通いの園芸係シオドア・ホルストマン、そして探偵助手のソール・パンザー、フレッド・ダーキン、オリー・キャザーの3人を加えた合計7人。見事に男ばっかり。彼らの間には辛らつな皮肉も揶揄も飛び交うが、基本はビジネスライクな信頼関係。ここらへんは男の世界のユートピアだったのかな。
 事件の発端は良く通うレストランの給仕が深夜にウルフをたずねる所。ウルフは就寝中だったのだで、翌朝会うことにして寝室に通したところ、葉巻のチューブに仕込んだ爆薬でピエールは爆死した。彼の家族の聞き込みからわかったことは、彼が競馬に入れ込んでいたことと、数日前に給仕をした食事会でメモを受け取ってから不審な様子が見られたこと、そして家族にも職場にも彼を憎むひとはいなかったということ。そして問題の食事会の出席者を調べると、その翌日にひとりのNatelec社(当時のIT企業だ)の社長が射殺されていることがわかる。この食事会には、同社技術担当副社長に弁護士にロビーストが集まり、ほとんどは初顔あわせ(この使い方は正しいのかな)だった。すなわちこの線からの捜査は行き詰まる。
 おかしいのは、ウルフは警察に徹底的に非協力的であること。証言拒否を繰り返した挙句に、逮捕拘留され、私立探偵のライセンスは停止される。しかもふだんはアーチーの皮肉に皮肉で返すが、今回のウルフはそうしないし、ビールも飲まない(これは異常事態!)。ウルフは疲れている、どうしようもなく。ファミリーという仲間6人がいながら、彼は孤独に引きこもる。ここも異常な事態。訳者は執筆当時89歳の作者の年齢の影をみているが、そういう見方も可能であるだろう。
 したがって、容疑者を集めての「さて、みなさん」はないし(ウルフがそういうつもりがないから)、ファミリーで打ち合わせた真犯人へのコンゲームもない。終盤にあると、重苦しく、なんとも判断のしずらい問題が浮かび上がる。アーチーらは独力で犯人を見つけるが、ウルフや警察に差し出すことができないのだ。そこの煩悶。ここはすこしばかり文学的な余韻のある描写になっている。
 背後にはニクソンウォーターゲート事件があって、ウルフやアーチーの会話に良く出てくる。共和党政権の「ゆたかな人々」優遇政策や国家権力の横暴などの批判もあるのだろうけど、ここでは事件で重要な役割を果たした4人の弁護士の証言拒否が作品に重要にかかわる。司法当局への捜査妨害になり、共同謀議のために逮捕されるというのが起きていて、ウルフも同じ選択をするから。ここのウルフの煩悶が伝わらないのが、アーチーたちや読者をいらだたせるのだな。
 最後のほうで、ウルフの喧嘩友達のクレーマー警部も引退を口にする。私立探偵のライセンスは取り消されたまま。ウルフはビールの代わりにブランデーで乾杯。最後のことばは「少し眠るとしよう」。やはりタイトルは「最後の事件」でOKだ。