odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

池井戸潤「ルーズヴェルト・ゲーム」(講談社文庫) 熱血少年野球マンガを大人の視点でみたらビジネスに通じるところがあった。

 往年の栄光はどこへやら、今は廃部寸前の野球部に転校生(新入生)が入部する。部員たちは彼らを白眼視するが、転校生(新入生)はわき目も振らずに猛練習。反目していた部員たちは彼の熱意に打たれたか、あるいは喧嘩のすえの和解でか、いっしょに練習をはげみ、市内大会、地区大会で勝ち進む。そこには怪我、病気、陰謀などの困難があり、異性を巡るいさかいがチームに不和をうんだりする。どうにか克服して、エースも4番もずたぼろになった決勝戦で待つのは、彼らのコンプレックスになった強豪チーム。そこには意地の悪い監督に、傲慢なエースと4番がいる。復讐とその先の聖杯探索に燃える部員たちは、意気揚々と(あるいは落ち着かない気分で)グランドに立った……。というようなストーリーは野球漫画にたくさんあった。まあ、50年近くマンガを読んでいると、あのシーン、あのコマ割りと細部を思い出せても、タイトルを思い出せない。あの年の少年サンデーに、あそこでみた月刊少年マガジンに、たしかあのときの少年チャンピオンにと記憶の断片はあるのだが。
 そういう物語の系譜にありそうな小説。ここでも、高校野球部で上級生に妬まれて、傷害事件を起こし、野球を断念することになった少年が登場する。この屈折した少年は、マンガの主人公にふさわしい。あるいは、プロの道を断念し、データに基づくチーム造りを目指す中年の監督も、弱小野球部を率いて全国大会を目指すというのもマンガには登場してもよさそうだ。チームメイトはアマチュアの技量を凌駕しているがプロにはなれない単年契約の派遣社員たち。このようなはぐれ者たちの集団が、ここでは廃部やリストラにおびえながら野球に活路を目指している。もちろん強い敵チームも用意され、なんと自分らを袖にした監督とエースと4番がまっていて、上の少年を挫折させた上級生もいる。なんとも舞台の整った復讐戦であることか。
 この野球小説が少し毛並みの異なるのは、物語の主人公が野球部を抱える中小メーカーの社長であることか。数年前にヘッドハンティングで営業部長に就任し、新規事業を立ち上げ収益の柱に育てて、古参の幹部を追い越して社長になった男。今は、リーマンショックと思しき不況のために会社は赤字を出している。そのうえ主要取引先から取引の縮小と単価値下げを要求され、ライバル会社の採算度外視を思われるダンピングに営業もうまくいかない。銀行に緊急融資を申し入れるも会社のコストカットを要求されるというわけだ。彼は取引先と交渉し、ライバル会社からの経営統合を検討し、銀行の監査を受け、主要株主に説明し、緊急株主総会を切り抜け、経理部の突き上げに苦慮し、開発部の頑固親父の説得に努める。まあ、野球に目を向ける暇もない。ただ社長室からは会社の全貌が見え、そこに指示と命令を出して、売上を上げていき、社員の生活に配慮するというのは、野球の監督に似ているともいえるか。
 このふたつの組織の危機を交互に描く。この種のエンターテイメントによくあるように、登場人物の苦難は頁を繰るごとに深刻さをまし、全体の4分の3のころにはいずれもどんずまりの、背に腹に替えられずの、背水の陣の、ダウン寸前かカウント9でようやく立ち上がったボクサーみたいの、敵に殴られて頭にたんこぶをこしらえた私立探偵みたいの、追い詰められた危機に陥る。そのどんずまりの、背に腹…にあって、唯一の光明が開ける。そこにおいて、それぞれの問題の関係者は突破口を見出し(あるいは開き直りの無我の心境にたち)、危機に直面し、問題を乗り越えるのである。
 仕事の合間のたわいない話や取引先との話の接ぎ穂に野球の話題を口にすることのあるこの国のサラリーマンのおとぎ話。こういうふうに会社の中にいる人がみんな愛社精神をもっていて、とことんのところでお人よしのところを見せ、前半で優位にたっていた「悪人」がことごとく没落していくのを見るのは爽快だよね。最後のところにカタルシスを見出すのはちょいと問題あると思うが、目くじら立てるほどのことではない。気に入らないのは、会社を救うのが開発部による新製品試作品の完成であるところ。デウス・エクス・マキナよろしく、というか「宇宙戦艦ヤマト」の真田技師長よろしく、「こんなこともあろうかと…」と試作品を出してくるのがね。それほど重要なら、もっとちゃんと描写してほしいなあと思うわけだ。それに技術は、人と時間をかければどうにかなるというのも違うと思う。
 それにしてもなんでこの国の人は野球が好きなのだろう。投手と捕手を除くとスポーツというにはひますぎるゲームなのに。たぶん好まれる理由は、投手と打者の一騎打ちが延々と続くところなのだろうね。相撲や柔道、剣道などの勝ち抜き戦をやるわけだ。つまりは、個人の技量と精神が重視されるわけで、チームスポーツといいながら実のところは個人の裁量がとても広くて、好き勝手ができる。そういう組織の名誉や達成目標などを名目にして、個人が好き勝手にするというのは、この国のさまざまな組織で見られることだよなあ。つまりは、この国の自画像を映す鏡を見るようなものだ。おれは、このスポーツはあんまり好きじゃない。
 そうそう、タイトルは8対7の試合のことで、アメリカ大統領ルーズヴェルトがもっともエキサイティングなスコアであるといったことから人口に膾炙することになったことば。あいにくセオドアなのかフランクリンなのかはわからない(まあ後者であるのは明らかだけど)。えーと、井上ひさし「下駄の上の卵」でも人生を競り合ったスコアにたとえていたなあ。そこはまあそういうものかもしれない。