過去と現在が入り組んでいるので、注意深くなければならない。ストーリーはアーチャーに寄り添うが、プロットは過去20年前から現在(1964年刊)までの長さになる。
「大実業家の息子トムが脱走したので探してほしい-----アーチャーは少年院の院長から依頼を受けた。が、まもなくトムが誘拐されたという報せが入った。アーチャーは調査を始めるが、不思議なことにトムはなぞの女と街に出没しているらしい。しかも二人がいたモーテルでアーチャーが見たものは、謎の女の撲殺体だった。トムと女の間には何が? 醜い過去を露呈していく人間の姿を重厚な筆致で描く英国推理作家協会賞受賞の傑作。(同書・裏表紙より)」
トムの父ラルフは労働者の家の出で、海軍軍人。ミッドウェー海戦に参戦し、そのときの活躍で栄達した(同時に、目の前で部下を死なせていて、大きなトラウマになっている)。彼は実業家として成功するために金持ちの娘と「愛」のない結婚をする。娘は清教徒でセックスを嫌っている。この夫婦には子供ができなかったので、ある事件をきっかけにして養子を迎えた。それがトム。トムは両親の不和を知っていて、しかも自分に別の真の父親がいることを聞いた。そして少年院にいれられた。そして上のサマリに続く現在の事件につながっていく。
ここでも事件の主題という原因は、過去の行為にある。過ちがあったとき、その場で即座に修復しないでおくと、時限爆弾となってさらに凶悪な事態を招くようだ。そしてうそをつき続けることが人を傷つけて、それが別の災厄を生んでいく。そういう問題をかかえた夫婦の物語。今回もこの前後の小説と同様に、二つの家族の間のトラブルが起きている。やっかいなのは、そのトラブルがアーチャーの過去にも絡んでいて、彼の過ちというかトラウマにもかかわっていたものだから、アーチャーもひどく傷ついた。ラストシーンでアーチャーは、雇用主を怒鳴りつけるのだが、ここまで感情を爆発させるアーチャーは珍しい。どこかでアーチャーは「紙のように薄い」存在感の人間だ、と作者が言っているらしいのだが、そうではないアーチャーの姿を見た。
それにしても、アーチャーを通じて壊れた家庭、うわべだけを取り繕った家庭をあきるほどにみているのだが、これほどに陰惨な家庭はなかったように思う。とりわけ、その家庭が金を持っていて、周囲からは憧れや賞賛を受けるような模範的な姿をもっているだけに、「真実」があきらかになり、うそを突き通すことができなくなり、押し隠していた感情が家庭の各人の間で顕になったときの陰惨さ、恐ろしさというのは圧倒的だった。
重厚な筆致、破綻しないストーリー、登場人物の存在感、いくつもの主題、どれもしっかりと描かれた傑作。しかし、二度と読み返したくない(そんなことをすると、読者である自分自身も落ち込みかねないから)作品。ロサンジェルスとその近郊の陽光あふれる舞台なのにもかかわらず、冷気がよどんでいる。なんて人の心は深く、暗く、恐ろしいのだ。いや、なんともつらい読書だった。
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