odd_hatchの読書ノート

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武田泰淳「富士」(中公文庫)-2

2016/05/10 武田泰淳「富士」(中公文庫)-1 1971年 の続き。


 エピローグとプロローグに挟まれた全18章の大作。エピローグとプロローグは「私」が書いている現在(48歳)のこと。章の中は太平洋戦争開戦から敗戦直前ごろまでのこと(「私」は途中で23歳とされる)。この中で関係者の異なる複数の事件が同時進行したり、前の事件の影響が後になって現れたりと、錯綜している。とりあえず章の順番に起きていることをまとめてみよう。箇条書きにした数字は、1=一条、2=大木戸、3=間宮、4=庭京子、5=中里里江を示す。大島にも甘野院長にも個別の物語があるが、以下の事件には受け身に徹しているので、ここでは割愛。
(1)虚言症の一条は、患者と群れず思ったことを口にするので男からは嫌われているが、女性からは持てる。庭京子、中里里江がまとわりつき、大木戸夫人に興味を持っている。火田軍曹からはしつこい尋問を受け、ときに暴力を振るわれる。
(1)黙狂の岡村が間宮と煙突に登ったとき、一条は甘野院長と一緒に説得のために登る。
(2)大木戸は大食漢だが、給食の割当が少なく、食事の量のことしか興味がない。時にてんかんを起こし、そのことを恥じている。頻繁に見舞う大木戸夫人は美貌のため、患者・所員・周辺の男に興味を持たれている。
(4)庭京子が「私(大島)」の部屋に深夜忍び込む(「私(大島)」が神の男根の持ち主を思い込んだため)。大島が拒否した際に、性器の傷つける。
(4)庭京子は、処女解任した(すなわちマリアの生まれ変わり)と思い込む。
(2)栄養失調で倒れ、夫人に離婚を申し出る。のち、死亡。
(5)中里里江は失踪した一条のことを思う。岡村に興味を持つ。
(1)大島に大木戸夫人と情事を行った手記を残して失踪。
(3)憲兵が院内の鳩を回収したために、間宮が失踪する
(3)間宮が院長宅を襲撃する。中里きんが間宮を抑えたが、手が緩んだ際に間宮の斧で殺される。居合わせた大木戸夫人がシャベルで間宮を殺す。
(2)大木戸夫人は間宮を殺害した後、遺体安置室にこもる。
(5)宮殿下の参拝の際に、一条に指嗾された中里里江が宮様に「直訴」する。すぐに警備に抑えられる。
(1)宮殿下の参拝日(近くに御陵がある)に、一条は警官に扮し、宮様に「日本精神病院改革案」を渡す。
(1)逮捕後、数日して「自殺」。病院に一条の幽霊を見たという噂が蔓延。
(1)死亡後、宮様から病院あてに下賜品が贈られる。
 収容人数を大幅に超えた患者がいる一方、看護人他は増員されず(戦局悪化で赤紙が来るようになる)、至急物資も不足していた。そのために全員が空腹で緊張しイライラしている。患者の中からは栄養失調による餓死や自殺者が発生していた。看護人も栄養不良のむくみのでるものもいた。大木戸、中里きん、間宮、一条が相次いで死んで、病院が閉鎖される可能性に怯えてもいた。そこに大量の下賜品が届く。久々の御馳走になり、看護人などには酒もふるまわれた。祝宴になり、混乱が増す。事件はまず、中里里江、庭京子、大木戸夫人の口論から始まる。中里のおやじが酒によって大木戸夫人にいいよる。岡村が煙突に登る。酔った中里のおやじと看護長などが大木戸夫人を別室に連れ込み、乱交になる。院長がいなくなる。火田軍曹と少尉が病院にやってくる。院長宅が放火される。
 それぞれの人物が思い思いの行動をとり、主に「私(大島)」に長広舌をふるい、ときに議論する。病院の権威や権力が失われ、秩序が次第に壊れていく。その結果、世界を焼き尽くすような大火が起きて、全員が炎を前に立ち尽くす。とても長い枚数をかけて、このクライマックスに至らせる技術と力は見事。武田泰淳、畢生の大作。
(この構成はドストエフスキー「悪霊」第2部にインスパイアされているのではないかなあ。ただ、皆の長広舌や議論は自分には少しばかり退屈で、ゆっくりとした筆致にはときにあくびを噛み殺すこともありました。)

2016/05/06 武田泰淳「富士」(中公文庫)-3 1971年 に続く。