odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

木下尚江「評論集」(青空文庫) 田中正造と幸徳秋水の思い出。足尾鉱毒事件の貴重な記録。「火の柱」は微妙。

 著者木下尚江は、すみません、よく知らない人。調べないで書くと、明治初期の生まれで若いときにキリスト教に感化。1900年前後に毎日新聞に入社。幸徳秋水田中正造らと知り合う。当時の毎日新聞は経済的と政治的自由主義を主張する新聞社だった。彼の上司はリベラルのようで、彼もまたリベラルな主張をした。1930年代の晩年には、日蓮への関心を深めていた。
 以下は青空文庫に収録されている文章から、幸徳と正造に関係しそうなものを選んだ。田中正造の記録を残した人に荒畑寒村がいるが、祖父と孫くらいの年齢差があった。木下は荒畑より年上なので、腹蔵ない意見を交わしたものと見える。正造のダメなところもきちんと書いている。

鉄窓の歌 ・・・ 明治30年普通選挙請願運動を開始。明治34年社会民主党の設立に関係。そのために監獄入りとなる。日々読んで和歌を記録する。獄中の日々を思い出すよすがになるし、閉塞した監獄で正気を保つ知的活動になる。

佐野だより/鉱毒飛沫/雪中の日光より1900 ・・・ この年の二月に起きた足尾鉱毒事件の被害者のデモを警察が弾圧したことを伝える新聞記事二本(尚江は当時毎日新聞記者)。デモを解散させる際に暴力をふるい、さらに鎮圧されたデモの参加者を警察が集団で暴行した。めちゃくちゃなことをやっている。のちの関東大震災で、警官は朝鮮人虐殺を扇動し自分らでも行った。警察による人民への暴力はできた時から。なにしろ切捨て御免の特権を持っていた武士が大量に転業したのだから。足尾鉱毒事件は古河電工が経営していた足尾銅山が排出した鉱毒による公害被害。1881年から新しい鉱脈の採掘がはじまり、そこから被害が拡大。国会で最初に被害報告がされたのが明治24年1892年という。日清戦争目前で増産体制。資本の拡大のために人民の悲惨は放置された。

大野人 ・・・ おそらく田中正造没(1913)のあとに書かれた人となりのスケッチ。都会のインテリの対極にある田舎の野人。こういう人が信念をまげずに反公害運動をつづけたので、今日に名を残す。足尾鉱山の鉱毒処置のために種々の装置を取り付けたが、効果なし。谷中村を水没させたが、洪水になるごとに被害が拡大する。なにしろ足尾の山に木が鉱毒のため木が生えないので「一升の雨を三升にして流す」というようなことになる。彼の残した言葉が「辛酸入佳境」。とても重くしかし希望ある言葉(水俣病患者がチッソを被告に裁判を起こしたとき、この言葉を書いた筵旗を掲げた)。

自由の使徒・島田三郎1933 ・・・ 島田は毎日新聞の社主の模様。 足尾鉱毒事件を記事にしたり支援活動の手伝いをしたり(田中正造直訴のあと)、星亨の疑獄を記事にしたらスラップの抗議があったのを毅然とはねのけたり、普通選挙法の成立に尽力したり。戦前のリベラルのひとり。大企業や政府、官僚、警察らはことごとく救済活動を妨害した。たとえば学生が現地視察を行ったが、文部省はこれを禁止した、など。

政治の破産者・田中正造1933 ・・・ 田中正造の一代記。たぶん1840年ころの生まれ。地元の名士で群馬県の県知事?をしていたが1892年の国会開設の際に国会議員になった。1890年代になって足尾鉱山の増産により渡良瀬川流域の鉱毒被害が起こる。農業、漁業ができなくなり、鉱毒による健康被害増大(それこそイタイイタイ病水俣病に極似した症状)。収穫できなくなり、大人が労働できなくなり、老人が寝たきりの重病人になり、子どもが病弱ながら内職して家族を支えなければならなくなる。この問題は田中は国会で何度も質疑したが、政府は回答しない(農業大臣は陸奥宗光榎本武揚ら)。田中と被害者に誹謗中傷、デマ、嫌がらせ、暴行など。1902年に大演説をして議員を辞職。直訴事件を起こす。被害者は村を追われ離散する。古河は鉱山開発に当たって排水と排煙の処理設備を作らなかった。コストをかけずに利益を増大化した。被害は人民に押し付けた。大企業と政府と官僚と自治体と大学は古河を支援した。その構図が書かれている。それは1950~70年代の昭和の公害問題でも起きた。足尾は問題解決されず、昭和の公害問題はさまざまな救済と公害防止措置ができた。それは人びとの関心の大きさの違い。多数の人々が公害被害が人民に押し付けられるのはおかしいと言えば、政府と企業と大学はそれに従う。途中に被害にあった村人の追想文がのっていた。石牟礼道子「苦海浄土」のような美しい文章だった。

幸徳秋水と僕 ――反逆児の悩みを語る――1933 ・・・ 若年のときに秋水と出会ってからの記憶。トピックは、日清戦争後の好況期に「労働問題」が伝わって、運動が開始された。明治三十四年1902年に社会党を設立したが、主意書を載せた新聞が発禁。社会党もしばらくして解散。秋水はマルクス主義からクロポトキン無政府主義に関心を写す。尚江はキリスト教徒で、秋水は無神論。発表時期をみると、大逆事件を書くことはできなかったようだ。

臨終の田中正造1933.09 ・・・ 田中正造没後20年。1900年頃に知り合い1913年に亡くなるまで交流を続けた著者による追想。田中自身の文章も引用して、ほぼ彼の人生をたどれる。1841年生まれで維新のころには成人。情熱的な性格のせいか、村の困りごとの解決に奔走する。そのさなかに殺人の容疑をかけられ4年間収監。拷問もある過酷な環境を生き抜き(凍死した者もいたとか)、無罪となる。ここで政治活動を開始。壮年の間は、群馬県知事三島通陽との闘い。1890年ころからは渡良瀬の鉱毒事件に注力する。国会議員となってなんども質疑。しかし鉱山経営の古河鉱業陸奥宗光の息がかかったところ。社長交代の際に原敬が副社長になる。後に総理大臣になるので、鉱毒事件もみ消しを力尽くで行う。最も悪質なのが谷中村の水没処置。村人に補償金名目の金をだしたが、雀の涙。のちに群馬県が周辺の地価の10分の1程度で土地を買い上げると発表したので、村人たちは売るに売れない。みな離散。残った数十名を群馬県は強制代執行で暴力をふるって追い出す。そこで田中は議会で質疑したのち、辞職し、天皇直訴事件を起こす。直訴状を書いたのは幸徳秋水。決行の前夜、田中の熱弁を聞いた後、一気に書き上げた。直訴は警官の妨害で失敗し逮捕されたが、田中は翌日釈放される。「『狂人』として取扱つたものだ」。そういうプロパガンダを新聞などと行うことで田中の信用を落としていった。彼は激情しやすかったので、仲間も離れていったりした。最後まで谷中村に残り、1913年病没。享年70歳

 

 昭和の公害問題で、企業・政府・官僚・大学が被害の隠蔽と抗議するものを暴力と裁判で弾圧した。そこで行われたことはすでに明治に行われていた。木下尚江の明治から昭和初期のレポートを読んで、既視感があったのはそのせい。宇井純「公害原論」に出てくる不法や不正は全部明治に起源があった。

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 明治期は、メディアの機能が弱く、被害の情報が伝わりにくかったので、被害者の存在は隠され、時がたつと忘れられていった。公害の被害はその後百年以上も続いているのに、近くで暮らしている人たちは何が起きたかを知らない。教えられない。足尾鉱山の鉱毒問題も自分で掘り下げないといけない。その端緒にできるレポートでした。とても貴重。

 

火の柱1904 ・・・ 日露戦争開戦直前に毎日新聞に2か月間連載された小説。作者の分身というべき新聞記者が反戦論の記事他を書き、危険思想の流布で逮捕されるまで。彼は新聞で反戦論、娼妓の自由廃業を主張していた。それが大企業(戦争特需で大儲け)や軍隊、警察の逆鱗にふれていた。しかも記者は町の名士である社長の娘との恋中であった。記者のような下賎なものと令嬢が出会うのは不思議ではあるが、一家ともども教会に通っているからである(教会は1868年設立とみえ、この国の教会ではきわめて古いもの)。教会のなかではこの世の階級、職業、男女などの違いはいっさいなく、すべてが対等にあるからである。教会の中で一緒に説教を聞いていれば、たがいの顔を見知ることになり、その縁が深くなるのも当たり前。二人は結婚するつもりではあるが、令嬢の父の社長は若手海軍士官に嫁がせたい。現海軍大臣の息子であり、いずれ出世するのが見えているからである。令嬢はこの縁談を強く断っていて、社長と大臣はやきもきしている。というわけで道ならぬ恋の話が進むのである。階級の差が男女の恋を割くのは日本の読物の伝統的な主題(読んでいて高倉健主演の「日本残侠伝」シリーズに似ているなあと思った)。
そこに新聞社にあつまる血気盛んな若者たちの興奮した社会批判や、工場労働者や車引きなどの下層階級の愚痴(税金が高い、給料が上がらない、資本家は横暴だ、高級軍人と政治家は酒宴ばかり、など)が挿入される。主筋には関係しないこれらの声が聞こえることで、社会の奥行きが深まる。
 とはいえ、すでに言文一致体が広まっている時期とはいえ、作者の文章は江戸の草紙風の美文調。男女はそれぞれ職業と年齢に応じたパターン化された口ぶり。筋を書くより主張を書くことに熱心。というわけで、近代小説というにはちょっと。とはいえ、大日本帝国期の小説で、社会問題を扱ったものはほとんどこれ一作ではないかという貴重さもある。評価に困り、完読が難しい一冊。
 「火の柱」は出エジプト記に登場する。エジプトを逃れて新しい定住地まで砂漠を歩くユダヤ民族に道を示すために神が火の柱を送った。記者も令嬢もさまざまな抑圧によって、上手く生きることができない。そのとき生き方を照らすのが聖書である。タイトルはそれを示す。
(作中には幸徳秋水を思わせる人物も登場。そのせいか、1910年大逆事件後に発禁。伏字で再刊されたが、大評判になった。明治の終わりころ、社会の変革を期待する人にとって、希望となる思想はキリスト教だった。1920年代になるとマルクス主義になる。)

 

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