深夜、ミルン未亡人は人をひいてしまったと、警察に飛び込む。要領を得ない話を聞くと、道の真ん中に寝込んでいた男を自動車で轢いてしまった。困ったのは、この男のことがさっぱりわからない。泥酔していたのはわかったが、ホテルに泊まっているわけでもなく、パブで飲んでいたわけでもない。スーツケースもなく、ズボンが消えている。南アフリカのレシートを持っていたので、そこからやってきたのと推測されるが、事故の加害者も村の人々もだれもこの男を知らない。
警察が聞き出そうとするが、だれもが口をよどませ、声をひそませるのだ。だんだんわかってくるのは、村人(のうち事故の加害者と、彼女が嫌う村の荘園主の一族)の憎悪の関係。たとえば、加害者の女性は荘園主と犬猿の仲。どうしてかはよくわからないが、とにかく顔をあわせないようにしていて、顔を合わせるとすさまじい罵倒が女性から現れる。その女性は娘とうまくいってなくて、フィアンセとの結婚を許そうとしない。荘園主もまた悲劇の影が覆っていて、どうやらできの悪い息子が20年以上前に失踪していることにあるらしい。しかも行先は南アフリカ(発表年の1940年当時はイギリスの統治領でパスポートなしで行けた)。
こういう情報は整理してでてくるのではなく、警官が酒瓶をさがしているのを手伝った高等遊民のトビーとジョージ(前者は新聞記者かジャーナリストのようだが、後者は何をしているのかわからない)が刑事を親友だったので、なんとなく捜査をするなかでわかってきたこと。好奇心の強い素人が知り合いのつてをたどって聞き歩くので、捜査の進展はまだるっこしい。もちろんそれは事件のカギを隠す手段であって、荘園主の奥さんが牧師の説教をのせた新聞記事をマークするようなどうでもいい挿話が後で効いてくるというなテクニックになるのだ。
素人探偵が警察の暗黙の了解を得て、村の事件を捜査するというのは、クリスティのミス・マープルもののパスティーシュといえる。男女老若、アッパークラスからロウワークラスまで多彩な人物がてんでにおしゃべりする。マープルものと違うのは、トビーとジョージがよそ者なので、そう簡単には彼らに心の内を明かさないところ。なので、トビーとジョージの捜査は遅々として進まない。
おもしろいのは、捜査の主導権を握るのは饒舌で行動的なトビー。一方ジョージは口数が少なく、ほとんど質問をすることはない(その数少ない質問はあとで解決に聞いてくる)。まあ、ホームズとワトソンの関係かと思いたくなるが、それも作者の仕掛けた罠。
というのも、この事件では解決の説明が3回行われる。最初の告発をトビーが否定する。それが見事な解釈で、事件の全貌をちゃんと解き明かす。とにかく事件の形がさっぱり見えなくて、トビーとジョージが何を問題にしているのか不明なまま読み進めるページがずっと続いていた。そのときにタイトルを思い出し、トビーによって「その死者の名は」なにかがわかったとたんに一気に事件の構造が見える。こういうテクニックはすばらしい。もしかしたら初期のクリスティ(「牧師館の殺人」「晩餐会の13人(エッジウェア卿の死)」「エンド・ハウスの謎」あたり)よりも上。それがさらに最後の数ページでジョージによってひっくり返される。これは読書の至福。
とはいえ、ミステリーのデビュー作である本書はテクニック以外の魅力に欠ける。長編を支えるには謎が小さいとか、未亡人の一族以外のキャラが十分書かれてないとか、男性キャラが弱いとか。次作に期待したくなる佳作(この長編の発表前に普通小説を書いていたそう)。
翻訳は2002年。フェラーズの紹介はとても遅れたが、その代わり翻訳が流麗。平成の日本語と会話で書かれているので、ノックスやクリスピンやマイケル・イネス、ニコラス・ブレイクといった同時代の作家の昭和の翻訳よりも読みやすい。昭和の翻訳で戦前のイギリスをイメージしていたものには、この翻訳のイギリスは軽薄で明るすぎ、教養にかけるように見えてしまうけど。
エリザベス・フェラーズ「その死者の名は」→ https://amzn.to/3NigFwG
エリザベス・フェラーズ「細工は流々」→ https://amzn.to/3NlJAAk
エリザベス・フェラーズ「自殺の殺人」→ https://amzn.to/4eVmJHf
エリザベス・フェラーズ「猿来たりなば」→ https://amzn.to/3Ngsofs
エリザベス・フェラーズ「私が見たと蠅は言う」→ https://amzn.to/3NiYGGv https://amzn.to/3Nnh8Op