odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

藤原彰「日中全面戦争 昭和の歴史5」(小学館文庫)-2 次の首相を決めるシステムが働かなくなり、天皇は自分の意志を政治に反映するようになる。

2022/12/23 藤原彰「日中全面戦争 昭和の歴史5」(小学館文庫)-1 1988年の続き

 1939年になると、次の首相を決めるシステムが働かなくなる。昭和天皇は元老や宮内庁などが根回しして決めたことを後追いすればよかったが、この時期になると自分で判断することになる。30代後半の天皇は自分の意志を政治に反映するようになる。

ノモンハン事件と大戦の勃発 ・・・ 1939年。アメリカが日本との関係を厳しくし、輸出制限などを開始。工場機械、資材、兵器などをアメリカに依存している日本に危機感が生まれる。ヨーロッパの情勢は混とんとしてくる。英仏はナチスと対抗。ソ連との協約を検討するが、8月に突如独ソ不可侵条約が締結され、翌月ドイツがポーランドに侵入し、ソ連フィンランドに侵攻する。一方、英仏と独の間は平穏。同時期に関東軍は「独走」してノモンハン事件で壊滅的敗北になる。(近衛の後、平沼・安部と首相が代わるが、政権は安定しない。政党も内閣に入れない。軍部が多くの大臣につくが、関東軍や中国駐留軍の独断専行に引きずられ、欧州情勢に対応できない。

長期戦と国民 ・・・ 1939年。物資不足でインフレ進行。価格統制令を発動したが、賃金のみ据え置きとなり生活は苦しくなる。農村と中小の商工業者から労働力を吸い取り(兵隊と工場労働者とする)、企業の「合理化」を進める。斎藤隆夫の反軍演説のあった年。

ヨーロッパの激動と日本の南進 ・・・ 1940年。ナチスドイツはデンマーク、オランダ、ベルギーに侵攻。北部フランスを占領し、8月にイギリスと「バトル・オブ・ブリテン」。イタリアが参戦。それをみて日本は英仏領アジアに侵略を行う。仏印進駐。7月に第二次近衛内閣(東条秀樹が入閣。ほか満州国の官僚も入閣)。近衛体制のために官製国民運動計画があったが(国民精神総動員令がうまくいっていないので)、官僚の反対でとん挫する。
(官製国民運動はうまくいかないが、下からの草の根翼賛運動はうまくいく。これはたぶん日本で何度も起きたことだろう。)

翼賛体制 ・・・ 近衛内閣が「新体制(New World Orderだな、こりゃ)」を呼びかけると政党はいっせいに解党そ、1940年の大政翼賛会発会にいたる。綱領もない空疎なものであり、軍部に対抗できない。官僚が実権を握って企画院を作る(この仕組みは戦後の政治体制にも継承されているだろう)。労組、農組は谷日本産業報国会にまとめられる。国民には隣保体制を組み、隣組を作って上意下達が徹底される。文化統制が官僚によって行われる。これらの施策はソ連ナチスのマネ。大陸では5月に重慶を長距離爆撃、8-9月に八路軍の大反撃。ここから三光作戦が強化される。和平工作が不首尾になり、長期戦に戦略転換。

大戦への道 ・・・ 40年4月に日ソ中立条約締結。10月から独ソがバルカン半島に進出。12月にナチがソ連領に侵攻し独ソ戦開始(不可侵条約を破棄)。ソ連の抵抗にあい、翌1941年12月にナチスは撤退開始(真珠湾攻撃と同日)。アメリカは41年から参戦準備を開始。ヨーロッパ戦線を重視し、対日本は後回しにし、経済制裁と外交交渉が行われた。日本軍はアメリカの参戦は1943年7月以降と推測して、戦略を練り直す。しかしインフレと物不足が深刻になっていた。41年8月にアメリカは石油の禁輸措置。そのために、海軍と陸軍は開戦に傾くが、戦略で一致できない。近衛が首相を辞め、東条秀樹が組閣し、12月に開戦する。

この間の情けない話は、海軍の中には開戦反対を唱える者があったが、実際に発現することはなかった。たとえば山本五十六。それは開戦に反対すると、陸軍がクーデターを起こすか、内乱になるかもしれないからだという。226事件の記憶は将校たちをとても呪縛していたのだった(そりゃ現役首相以下大臣が暗殺されるとなるとね)。また可能性のない民衆反乱を危惧し日本が「赤化」することを恐怖する。これも心理的な理由としか思えないなあ。

 

 

 1939年以降の軍部は迷走する。中国との戦争をどうするかで右往左往し、欧州戦線の戦況にうろたえ、アメリカの石油禁輸に恐怖する。満州国建国までは戦略的な動きをしていたのに、ほぼ同じ連中が政治の実権を握り、戦局を拡大したとたんに、戦略を失う。その場のできごとに合わせて最も利益の出そうな方針を選んでいく。その結果、使えるカードをなくし、選択肢を狭くし、最悪の事態に突入する。しかも最後の局面では冷静な判断や統計情報がなくなり、精神力だけに頼り、天祐を期待することしかしない。以後のWW2の3年半の戦いは対英米開戦前の準備と選択ですでに敗北が決していたのだった。
 なので、日本の戦争から学ぶところは開戦後にあるのではなく、開戦を決めるまでの2-3年間にある。そこで戦争をしない道がどこかになかったか、見つけることにあるだろう(という検討をすると、どんどん遡ってダメ出しをすることになり、ついには明治政府がおかしかった、維新がダメだったというところまで行くのだ)。

 

金原左門「昭和への胎動 昭和の歴史1」(小学館文庫)→ https://amzn.to/3CEJ9P9 
中村政則「昭和の恐慌 昭和の歴史2」(小学館文庫)→ https://amzn.to/3CsYZwp
大江志乃夫「天皇の軍隊 昭和の歴史3」(小学館文庫)→ https://amzn.to/3CqJIvT 
江口圭一「十五年戦争の開幕 昭和の歴史4」(小学館文庫)→ https://amzn.to/3ObvZM4 
藤原彰「日中全面戦争 昭和の歴史5」(小学館文庫)→ https://amzn.to/3AwWKYt
粟屋憲太郎「昭和の政党 昭和の歴史6」(小学館文庫)→ https://amzn.to/40QY9DJ 
木坂順一郎「太平洋戦争 昭和の歴史7」(小学館文庫)→ https://amzn.to/3AJ0beq
神田文人「占領と民主主義 昭和の歴史8」(小学館文庫)→ https://amzn.to/4fMefTw
芝垣和夫「講和から高度成長へ 昭和の歴史9」(小学館文庫)→ https://amzn.to/4fEq1PI 
宮本憲一「経済大国 昭和の歴史10」(小学館文庫)→ https://amzn.to/4eBS8hs 


<参考エントリー>
加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-3