odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

フョードル・ドストエフスキー「伯父様の夢」(河出書房) シベリア帰りの長編第一作は可能性の塊。

 第1章と第2章のややこしい人物紹介でへこたれるのはもったいない。そこを乗り切れば、モルダーソフという村で起きた自尊心とペテンとやっかみのドタバタを笑いながら読めるのだから。初期ドスト氏はユーモア小説の書き手として登場したが、短編ではなかなか味わえない。ゴーゴリのようなキレの良さがないので。でも長編作家であるドスト氏は中編の分量を与えられれば、力量を発揮。ページを繰っても微苦笑が消えることがない稀有な読書ができました。なるほど、ここまで書けたからのちの「悪霊」のような巨大な長編ユーモア小説を書くことができたのだね。


 ストーリーは前回の感想を参照。
 フョードル・ドストエフスキー「初恋(小英雄)」「伯父様の夢(河出書房) 1858年
 この後のドスト氏がよく使う趣向である奇妙な闖入者テーマの嚆矢。それなりに安定しているコミュニティに異人がやってくる。その存在に幻惑された人々がさまざまな思惑を持って、異人を利用しようとするので、コミュニティはてんやわんや。異人は何もメッセージを出さないのに、高邁なことをしゃべったり偉大なことをするのかもしれないと思って、取り入ろうとしては失敗する。もともとはゴーゴリの「検察官(査察官)」に由来するのだろうが、この小説で使って「成功」したので、のちの小説で繰り返し採用する(「スチェパンチコヴォ村とその住人」「罪と罰」「白痴」「悪霊」、みんなそう)。
 もう一つのテーマは、ロシアの結婚。男が結婚するには持参金を出さないといけないので、金をためるのに時間がかかり、中年になってから結婚活動を始める。その結果、中年男に10代の少女が結婚することになり、貧乏な娘は好きでもない男に嫁がないといけない。結婚したら男は女にDVを働くようになり、結婚は解放にはならない。ここでも23歳のジーナ(この年で未婚なのは当時としては異例)にこの問題が降りかかる。彼女は結婚する意志はないのに、行き遅れを心配している母が耄碌しているK侯爵と結婚するように画策する。彼女の意欲は空回りし、事態が悪化するのを止められないのが小説のストーリー。意欲溢れる母親の狂騒を笑うことになる(「カラマーゾフの兄弟」のミーチャの先駆)。でもここでは、やはり望まない結婚を押し付けられるジーナに注目しよう。そういう結婚はヴァルヴァーラ(「貧しき人々」)に起きたこと。このとき結婚への圧に少女は抗えなかったが、「罪と罰」のドゥーニャになるとスヴィドリガイロフの婚約には抗いピストルを発射するまでになる。女が男に抵抗する意志を持ち始めるのだが、ドスト氏の小説はこのジーナが最初になるのではないか。ジーナの母マリヤは「万人の幸福のために犠牲になれ」と耄碌した老人との結婚を勧める。それこそイワン@カラマーゾフの兄弟が弾劾した人々を幸せにし、ついには平和と平安を与える建物のためにこぶしで自分の胸をたたき無償な涙を流すちっぽけな女の子にジーナはなれと言っているのだ。ジーナは拒否する。私を人間らしく扱え、と。そういう主張する女性をドスト氏が見つけたのは大きな躍進だった。
 マリヤは狂騒し、K侯爵は耄碌して約束を忘れ(タイトルの由来)、頼りないジーナの婚約者は出し抜こうとしていいように使われ、マリヤのライバルはあてこすりや嫌味をいってマリヤを激高させる。これらが短時間の間に集中していく。手際のいいこと。ドスト氏のユーモア小説では「スチェパンチコヴォ村とその住人」よりこっちをとる。「伯父様の夢」は文庫になったことがないが、いくつかの初期短編といっしょにした文庫になるといい。

 

 あとはいくつか。

・K侯爵は入れ歯やかつらその他の装具を使って若作りしている。ポーの「使いきった男(1839.08)」に似たイメージ。ドスト氏はポーを読んでいるので、影響されたのかな。K侯爵はヨーロッパ旅行の際にベートーヴェンと会ったとほらを吹く(時代がちょっと合わない)。1857年にはロシアでもベートーヴェンが知られていて、人気と権威があったようだ。

・マリヤには別居している夫アファナーシィがいる。気ままな一人暮らしをしているが、妻マリヤにはまったく頭が上がらない。他人に支配されたがるマゾヒストのひとり。この夫婦の関係はのちのワルラーラ夫人とステパン氏(「悪霊」)にそっくり。

・マリヤがジーナに結婚を勧めるのは犠牲になれだけではなく、もうすぐ死ぬだろうK侯爵の未亡人になって遺産を相続できるとう打算、功利主義もあった。「とうのたった処女より若い未亡人のほうがいい」。たしかに女性は教育を受けられず、中産階級は技能を持つこともできなかったので、金持ちになるには玉の輿にのることくらいしかない。

・23歳のジーナが頑なに結婚を拒んだのは、数年前に知り合った恋人の詩人が肺病で死にかけているからだった。最後の章で明かされる。そこで長広舌を聞くことになる。強い自尊心、しかし身体の衰えとコンプレックスで自己卑下と自損感情があり、高邁な理想と自分の低評価。さまざまな心理がないまざった奇妙な男。彼の系譜にあるのが、イッポリート(「白痴」)なのだろう。

・男や家の幸福や利益のために結婚することは拒む。しかし、見込んだ男一人のために自分が幸福になることは選ばず、男のために尽くそうとする。これものちのドスト氏によく出てくる人たち。「虐げられた人々」、「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」において。それは良いのか、と思うが、検討はそれぞれの小説において。「伯父様の夢」ではジーナのその後はよくわからない。

 ほかにものちの小説に登場するキャラの先駆やテーマの片りんがありそう。シベリアから帰り、作家生活を再開しようとするとき、ドスト氏が考えていたことがわかる。その後の小説は「伯父様の夢」で芽生えたことを発展させたもののよう。

 

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