米川正夫訳の「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」がKINDLEに入ったので再読。前回の感想は以下。
2020/02/17 フョードル・ドストエフスキー「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」(河出書房) 1849年

読み直したら、前の感想はいろいろ誤っていた。訂正しながら新しい感想を書こう。
第1部はネートチカ(本名アンナを自分でかわいらしく言い換えた)の継父エゴール・エフィーモアの破滅の物語。このダメ男は、ドスト氏の小説のなかで「ステパンチコヴォ村」にでてくるフォマー・フォミッチと双璧の嫌な奴(「罪と罰」のマルメラードフに近いが、彼のような滑稽さがない)。自意識過剰で、しかし努力しないで身を持ち崩す。妻の持参金を当てにして使い果たし、金をせびっては豪遊して泥酔する。正直でないことと、「もう一人のわたし@アーレント」がしょうもない人間だったというのが、更生不可能なところまで行った理由だろう。ドスト氏には貧しい虐げられ打ちのめされた人たちがたくさんでてくるが、最期のところでは正直で正義であろうとした(「罪と罰」のマルメラードフや「カラマーゾフの兄弟」のスネリギョフみたいに)。このエフィーモアはついに反省せず、自分の腕や才能を直視しなかったからね。でもドスト氏はこのクズ男から「真実」をつかみだす。とうとう誰もかまわなくなったペテルブルクに高名なバイオリニストS(たぶんシュポーア)が来る。ヨーロッパ最高の演奏家と自分を比較する機会(それは彼の願望を拡大する)になった。演奏会にもぐりこむために15ルーブリが必要。それを工面できないエフィーモアは妻のへそくりを狙う。自分で盗ろうとしないで、ネートチカを使うという姑息ぶり。この15ルーブリという小金はこのクズ男にとって自分の運命を決める金であり、母と娘を捨てる金である。病床にある妻がネートチカに買い物に行かせる時間を待つ。(エフィーモアの緊張はネートチカにも伝染する。そのために、ネートチカはこのような経験をする。
この世には何年かかっても経験できないようなことを、わずか数分間のうちに意識するような場合があるものです。 (p.93). KotenKyoyoBunko. Kindle 版.
そしてその時が来てネートチカが金をエフィーモアに渡すとき、わなわなと全身を震わせて受け取る。このクズ男の心理が手に取るようにわかる瞬間。次には部屋にあるすべての服をベッドに寝ている妻にかける。ようにネートチカに見える間に、エフィーモアは妻を殺害する。それが発覚した時、エフィーモアは「おれのせいじゃない」とわななきながら自己弁護をわめく。この卑屈さ、事実に目を向けられない小心さ。世界の破滅を受け入れられない犯罪者。このダメさを描き切る若いドスト氏はすごい。この部分はのちに「おとなしい女」でもっと精緻に分析して展開した。このダメ男は「罪と罰」のラスコーリニコフやスヴィドリガイロフ、「悪霊」のスタヴローギンやピョートルなどに転生してもっと凄みを出すのかしら。(追記: そのまえに「地下室の手記」の語り手として現れる。こいつに比べれば、「ステパンチコヴォ村とその住民」の悪役フォマー・フォミッチなどかわいい者。)
また15ルーブリに固執する卑屈さは、「カラマーゾフの兄弟」でミーチャが固執する3000ルーブリになる。この具体的な金額が、リアルな臨場感のもとになっている(そういえばドスト氏はギャンブル依存症。細かい数字に固執するのは作家の日常そのものだった)。
なお再読しても、なぜネートチカが母を怖がり憎み、継父を愛するようになったのかはよくわからない。この少女(2歳の時に母がエフィーモアと再婚し、8年が経過したので、両親が相次いで死んだときは10歳)の行動性向は空想家、病的な興奮に移るほど激しい感受性とされる。継父が母といさかいを起こしたり、母から攻められると高熱を出して寝込んでしまう。これは「虐げられた人びと」のネリだろうし、「カラマーゾフの兄弟」のリーザだったり、「白痴」のムイシュキン公爵だったりするのだろう。
あと母は貧しいために年取った官吏に嫁入りし、すぐに官吏が亡くなったので、母子家庭になって放り出された。女にとって結婚は貧困から脱出する手段にならず、こういう年齢差のある結婚によって強い抑圧と差別を受けたのだ。その娘ネートチカも教育をほとんど受けていない。そのために社会にでられず、男に踏みつけられるところだった(第2部でH公爵に救われる)。
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2025/02/17 フョードル・ドストエフスキー「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」(KINDLE)-4 虚弱体質で空想家の娘は他人をいらだたせる。女性ナラティブで書かれたドスト氏唯一の小説。 1849年に続く