odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

イアン・バンクス「蜂工場」(集英社文庫)

 いやあ、怖かった。ここには超常現象もおきないし、怪物も悪魔もUMAも宇宙人も現れない。ほとんどリアリズムの小説なのに、そこらの凡百のホラーにはない恐怖が満ち溢れている。
 さて、表紙カバーには「結末は、誰にも話さないでください」と念押ししているので、そうならない範囲でサマリを書こう。

 舞台はスコットランドの寒村。本土とはほとんど交通のない孤島で、主人公フランシスの家族が暮らしている。この家族が奇妙。親父は1960年代のヒッピー崩れ。ひがな一日研究室にこもるか、酒を飲むか。ひげもじゃでだらしのないフーテン野郎だ。今はいない母も同じくヒッピー崩れで、フランシスを孕んで家に来て、出産した4日後には家を出る。そのとき、阻止しようとする親父をバイクで轢き、そのため親父の足は悪い。腹違いのエリックという兄がいる。兄は自立するために病院の看護師になったが、あることが原因で狂気に陥り、以来精神病院に隔離されている。この原因がなんともグロテスクなイメージをもたらすものであるが、さて冷静になると戦中戦前にはあってもおかしくないようなものだ。
 このフランシス、おやじが反体制のポーズを取ったため、出生届が出されていない。そのために戸籍はないし、当然学校にも行けない。兄が町中の恐怖の対象になったために(ペットに対する暴力や子供へのいたずらが理由)、この16歳のデブなフランシスも無視され、孤独である。友人は小人のジェイミーだけ。このような壊れた家族と社会が描かれ、フランシスの孤独と恐るべき暴力性が明らかになっていく。タイトルの蜂工場はフランシスの発明品で、直径1メートルの時計の文字盤を加工したものだ。そこにフランシスが捕らえた蜂が投げ込まれると抜け出すことはできない。いくつかの迷路の先にあるのは、処刑装置。ときには体が切断され、ときには簡易な火炎放射器で焼かれたりする。
 このような社会ののけ者のフランシスの暮らしが淡々と描かれながら、この家族の過去が明らかになっていく。恐るべきことにフランシスは16歳にしてすでに3件の殺人を犯し、発覚していないのだ。すなわちいことや弟たちを以下の方法で殺している。1)義足に毒蛇を仕掛ける、2)不発弾の信管をたたく遊びを教える、3)巨大な凧に幼児をくくりつけ洋上に流してしまう。まるで、ペーター・キュルテンのような異常犯罪者であるのだな。その原因になると思われるのは、フランシスが幼児のときに、犬にけしかけられてペニスを噛み切られたという事故が起きているからだ。当然、用足しを立ったまますることはできず、また性的不能を抱えている(彼は異性にまったく興味を示さないし、性的衝動も起きない)。
 ストーリーは、兄エリックが精神病院を脱走したところから始まり、ときどきフランシスに電話がかかってくる。兄エリックの狂気がいや増していき、フランシスは家から逃げることもできず、期待と恐怖が膨らんでいく。そして・・・ 
 最終20ページの怒涛の展開と恐怖の真実は読んで確かめてくれ。ここには、モダンホラーにありがちな家族の救済はないし、共同体の復活もない。真実を知ったからといって安堵の日々が始まるわけでもない。新たな魂の牢獄が開かれるのであって、それは真に恐ろしい。そしてたぶん、フランシスの退廃と閉塞感はすこしだけわれわれ読者も共有しているのだ。小説の中に社会的な象徴などを読み取ることも可能と思われるが、読み取ったからといって楽しいわけではなく、ただ単に恐怖を味わえばよい。1984年作。