odd_hatchの読書ノート

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T・K生「第3 韓国からの通信」(岩波新書) 1975-77年の韓国の状況。日本企業は韓国に投資し、独裁政権の人権侵害と公害輸出に加担する。

2013/07/29 T・K生「韓国からの通信」(岩波新書)
2013/07/26 T・K生「続・韓国からの通信」(岩波新書)

 引き続き、1975年5月から1977年8月にかけてのレポート。

 主な主題は「3.1民主救国宣言」裁判。1976年3月に思想・良心の自由がないこと、韓国の経済が日本経済に隷属され多くの労働者が不遇な状態にあること、国際社会から孤立していることを延べ、朴政権を批判文をミサで発表した。政府はすぐさま反政府活動とみなし、宣言に関わった政治家・牧師・知識人などを逮捕した。その公判が行われていたが、このレポートによると、裁判はほとんど傍聴できず(ほぼCIAが席を独占、被告の家族に傍聴席が割り当てられたがなかなか席につけない)、裁判所周辺は封鎖され一般人が中に入ることができない。近くを通りかかっただけで逮捕されるという状況であった。国内では裁判の模様は報道されず、外国の報道によって始めて知ることになることが多かったという。
 独裁体制下で知識人や民主政治家などが政府批判の文書を発表し、即座に逮捕されたり公職を追放されたりする事例は韓国に限ることではない。うろおぼえでいえば、チェコスロヴァキア(当時)、ポーランド、チリなどでも同様のことがおきていた。韓国の場合が熾烈であると思うのは、このレポートによると不当逮捕・不当拘禁は日常茶飯事であり、逮捕後には拷問が行われていた。女性の被告に対する強姦もあったとされる。現在の目で見ると、ごくささいな行為(ビラをまいたとか、政府批判を酒場でしゃべったとか)で数年の拘留が行われるのもよくあることで、拘置所や刑務所を頻繁に変えて、被告がどこにいるのかわからなくさせもした。そのあたりの熾烈さ、過酷さというのはこの国ではなかなか考えられないことであった(とはいえ、この国で過去行われてきたことが正当化されるわけではないが)。
 特筆されるのは、キリスト教教会がこのような被告とその家族を救援、保護する役割を積極的に行ったこと。上記救国宣言はミサにおいて読まれたものであるし、被告への支援(差し入れや弁護費用の負担など)を行っていたのであった。ここにおいて似た事例をポーランドの「連帯」運動にもみることができるが、ポーランドでは教会の庇護に入ったものを政府は追及できなかったが、この国においてはKCIAその他が簡単に垣を破って、逮捕・拘引を行ったというところか。このあたりの痛々しさには心が痛む。
 もうひとつは、韓国の主な外国資本は日本の企業であるということ。当時、この国では公害に関する規制が始まり、企業は公害防止のための投資をしなければならなかった。それを嫌った企業が韓国に工場を移転し、この国の労働賃金よりもはるかに安価な賃金でしかも苛烈な労働環境で労働者を扱ったということ。それを政府が支援し、労働運動活動家(このレポートに書かれた活動はせいぜい労働環境の改善、長時間労働の禁止、正当な賃金の支払いを求めるという基本的人権の要求で、党活動や政治活動ではない)をどんどんと逮捕・拘引していたのだった。この話を読み、自分は恥ずかしいと思った。
 さらに、独裁者から下に続く<システム>ができていて、贈賄・ピンはね・横領が日常化しているということ。あいにくなことに、当時の公共事業でそれが行われた。充分な防災強度や設備のないインフラが老朽化し、1990年以降にいくつかの人災を起こしてしまったのだった。
 前冊の感想の繰り返しになるが、独裁(監視社会)はコストがかかり、社会の生産性を低め、社会システムの効率を下げるものである。そしてその不正や誤りを正し、もう少しましな統治の仕組みにするためのコストも非常に高いものについてしまう。そうなんだ、韓国では1961年のクーデターから1988年のソウルオリンピックまで、労働運動ないし学生運動で毎年死者を出していた。その影には生涯治らない傷を負ったものもいるはず。

2013/07/24 T・K生「軍政と受難」(岩波新書)