odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

T・K生「軍政と受難」(岩波新書)

2013/07/29 T・K生「韓国からの通信」(岩波新書)
2013/07/26 T・K生「続・韓国からの通信」(岩波新書)
2013/07/25 T・K生「第3 韓国からの通信」(岩波新書)

 引き続き、1977年11月から1980年7月にかけてのレポート。

 おさらいすると朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、1972年に戒厳令を発した。その状況を「維新体制」と呼び、与党を「維新民主党」と名付けた。昭和初めの皇道派陸軍将校たちも「維新」を呼号したので、どうもこの言葉にはよけいな手垢がついているように思える。まあ、おおもとの「明治維新」も明確な概念ではないけどね。この言葉を使う人はそれぞれ自分勝手な意味付けをしているみたい。閑話休題
 韓国の激動期。
・このころ韓国とアメリカの関係が悪化。朴大統領とカーター大統領の確執とも、韓国が核開発をするのをアメリカが拒んだためとも、いろいろされる。
・1979年10月の朴大統領暗殺。そのあとの権力抗争。KCIAのトップが暗殺者であり、大統領を支援する立場だったのが、このあと急速に権力基盤を失う。代わりに台頭したのは軍部。おおむね朴大統領と陸軍士官学校の同期の人たちが権力を継承。その中には、次期とその次の大統領二人が含まれている。後継大統領が文民だったので、民主化ムードが起きる。
全斗煥盧泰愚たちが軍を掌握。そのとき戒厳司令官と対立があった。で、全斗煥盧泰愚たちが軍内部で叛乱を起こして、主導権を握る。
・1980年5月17日に軍事クーデターを起こし、非常戒厳令を全国に拡大。その中で抵抗する民主化運動を武力弾圧した(光州事件)。ここで、多くの人が亡くなったとされるが、この連載当時はもとよりソウルオリンピックを過ぎても状況はわからなかった。後継大統領を逮捕し、自分が大統領になる。
 ここで思い出話をすれば、大統領暗殺で号外が出た。韓国の民主化光州事件ポーランドの連帯運動とその弾圧は連日報道されていた、と思う。おまけでいうと、1986年ころにNHK教育テレビが「男たちの挽歌」という韓国映画を放送した。これはDVDになっているアクション映画とは別のもの。たぶん1984年ころの制作。内容は、ドロップアウトした学生(背景の説明はないが、たぶん観客には理由がわかる)が地方の炭鉱にいき、そこに暮らす若い女性と恋愛関係になるというもの。女性の背後の炭鉱組合だったか、秘密警察だったかが元学生を叩きのめしたりもした。喫茶店には必ず水槽があって、熱帯魚が泳いでいた(四方田犬彦によると1970年代のモードだとか)。暗い沈鬱なムードで面白いとは思わなかったが、途中で突然、市街で軍隊が市民、学生に暴行するシーンが挿入される。もしかしたら学生の回想シーンだったかな。この映像が光州事件のドキュメントだった。当時は報道管制が敷かれて、映像でも活字でも光州事件の模様は表に出てこなかった。それがでてくるのは、こういう「退屈な」映画に挿入されることによって。VHSは処分し、再放送もなかったと思うので、確認できない。とりあえず記憶を記しておくことにする。
 後継の全斗煥大統領は、沈滞していた経済を発展させるための政策をとる。その結果、1980年代後半のNICSと呼ばれる経済成長を達成し、輸出が大幅に増えた(ソウルオリンピックころから白物家電やカセット、ビデオテープなどの韓国製品がこの国の安売り販売店に並ぶようになる。最初は低品質だったが、10年後にはこの国の製品と同じくらいの品質になった)。あとは、厳しい統制を緩めて、言論や集会の自由を少しずつ認めるようになった。それが韓国の映画をいきいきとさせるきっかけになった。その一方、家族・親族を政府の重鎮に登用したり、不正蓄財をしたり。その結果、改憲反政府運動も活発化し、1987年7月に政権移譲を行う。のちには、光州事件粛軍クーデター、不正蓄財の罪を問われ死刑判決を受ける。金大中大統領が特赦。
 著者の語り口は、悲憤慷慨で胸も張り裂けんばかり、目から血を流し、暴力の犠牲になった同胞に嗚咽するというもの。この国の運動では、著者のような感情の高ぶりを示すものはめったにない(まあ、明治とその前の文献を読んだことがないので、このくらいのものいい)。この語り口が周囲を運動に参加させる方法であった時代もあると思うが、今の時代になるとすこし引いてしまうかな。
 かの国が1988年までの戒厳令下から軍政に移行し、順次民主化していった過程は重要なケーススタディだと思う。なにかよい参考書があればよいなあ。あと、体制が変化するときに、在野(というのはあいまいなことばになるけど)に政権を担える集団、組織があるかはその後の民主化に重要。かの国ではいくつかの野党があった。1989年の東欧革命でもそれぞれの国に政権を運営可能な集団、組織があった。でも2010年のエジプトではそのような野党や組織はなく、全国に影響をおよぼすことのできる集団は軍しかなかった。ここの差異にも注目しておきたい。