探偵小説のベストリストを作れば上位に必ず入る有名作。百年以上前(1907年刊行)の作品がなぜいまでも人気があるのか。

初出1907年の15年前に起きた事件というので1892年のこと。アメリカ帰りの科学者が世界をあっと言わせる研究を進めていた(まだノーベル賞がないころ)。パリから一時間もかかるような田舎で大きな貴族屋敷を買い、一部を研究施設に変えていた。科学者には一人娘がいる。いちど結婚話がでたが、なぜか結婚を嫌い帰国後ずっと独身を続けている(現在35歳)。父スタンガースン博士の研究の手伝いをしているある夜事件が起こる。深夜に研究室に隣接した部屋で休むことになったマチルダ嬢の悲鳴。一発の銃声。何事とドアをぶち破ると、血まみれでいくつかの重傷を負った嬢が倒れていた。部屋は厳重に施錠され、外部からの出入りは不可能。窓の下の庭にも足跡はない。事件以後、屋敷には探偵、記者などが警備のために間借りするようになる。ある夜、マチルダ嬢の部屋に怪しい人影。3人でとらえようと網を張っていて、追い詰めると、そいつは影も形もない。博士の研究のように「物質の消滅」が起きたのか(電燈がない時代でランプしかないのであたりはほぼ真っ暗)。事件の関係者はほとんど口を閉ざして何もしゃべらない。マチルダ嬢のフィアンセが第一級の容疑者。ついに逮捕されてしまったが、アリバイも含めて何もしゃべらない。ということは探偵も記者も証言から事件を構成することができない。「黄色い部屋の密室」「不思議な廊下の人間消失」はどうやって起こしたのか。
事件は令状傷害事件と捜査中の証人誤射殺人だけ。いくつかの窃盗があるが上の事件の謎ときには関係ない(動機には大いにある)。現在基準ではショボい事件である。それがセンセーショナルであったのは、スタンガースン博士がフランスの国威発揚に関わる重要人物だから、ということで納得しよう。クライマックスは裁判で、そこで真犯人が指摘される。20世紀以降の裁判で事前申請されていない証人がこんなことができるはずがない。でもWW1より前の当時であれば、裁判は見世物と同じ扱いであった。「カラマーゾフの兄弟」も、ボアゴベ「晩年のルコック氏(邦訳は「死美人」)」も同じ。
さて本書は19世紀のフランス長編探偵小説(というか新聞に連載された犯罪小説)の集大成。すでにこのブログではガボリオとボアゴベの代表作をレビューしてきた。その書き方が本作でも踏襲されている。事件は「市民(この場合は資産をもって納税していて参政権を持っているという意味)」で起こる。事件そのものよりも、事件の関係者の人間関係を暴くことが大事。みな数年前から数十年前にさかのぼるトラウマや愛憎を抱えている。事件によって平穏が乱され、隠していた過去が暴かれることを嫌う。強い家父長制が家族や地域を支配していて、抑圧を受ける人は不満を溜めている。これらは本作にも顕著。スタンガースン博士とマチルダ嬢は一見理想的な家族でありながら、互いに信頼していないことがわかってしまう。その理由を知るのが、このミステリーの主眼になっている。
それは犯人像もそう。とても有名な「意外な犯人」のほとんど最初の例。今から見ると、バレバレなよくある趣向なのだが、ルールタビーユは一介の記者。捜査活動に加われるはずがないのだが、デュパン、ルコック他がそのような介入をしていたのでよいことにしよう。そのうえで犯人をみると、彼の行動特性は悧巧な人による巧みな攪乱とはいえない。むしろ当時流行っていた犯罪小説のダークヒーローを登場させたのだとわかる。ファントマとかジゴマとか。犯罪小説ではダークヒーローが警察の頭の悪さをバカにするのだが、ミステリーでは人智にすぐれた探偵によって仮面をはがされ正体を暴露されるヘタレ悪党に引き落とされる。悪を体現しているものは人間のクズとして「市民」より下の階層に落とされるのだ。
逆に探偵は18歳の若造。過去に実績をもっているとはいえ、すくなからず過剰に賞讃されている。それは彼が誰にでも平等に与えられている理性や創造のちからをより多くもっているから。教会にいくかどうかは別として信仰心をもっている「市民」からみると、創造主から与えられている力を普通の人より効果的に使えている。それは天にいる創造主や神に愛され、人より一つ上の位階に登っているひとなのだ。超人探偵がしばしば「神のような」と称されるゆえん。これは比喩ではなくて、実際に人より神に近いことを現わしているのだ。このような天才を大衆は愛し、憧れる。そのうえ、20世紀になって強調された新しい美徳である「若さ」「健康」も持っている。それが新しいヒーロー像にふさわしい。まるで、列島の1980年代以降の「新本格」に登場する学生探偵を先取りしたかのよう。生意気なのもいっしょ。
一方で、本書は20世紀のパズラー長編探偵小説の嚆矢。不可思議な謎が冒頭に出てきて、二番目の事件も不可解状況。これが合理的なトリックによって解決する。後世の作家が真似した。俺が新しいと思ったのは、途中でルールタビーユが犯人の姦策によって失敗するところ。途中で探偵が失敗する。それから立ち直って、自分の失敗を反省して、解決に至る。謎解き、関係者の過去の暴露に加えて、探偵の失地回復の物語もある。いくつもの物語が同時進行しているのも未来を予見。
前回は冗長さにへこたれたという感想をもったが、今回はそんなことはなかった。むしろ19世紀フランス探偵小説の長い会話が整理され、現代の語りに近いテンポで文章が進むので、読みやすかったよ。
ボアゴベ―が1870年代で活躍を終えると、しばらくの間、フランスの大衆小説では犯罪ものや謎解きものが消えたようだ。ノエル・キャロル 「ホラーの哲学」(フィルムアート社)によると、1880年代からしばらく自然主義文学が流行したためのもよう。ゾラとかモーパッサンとかゴンクール兄弟とか(名前しか知らない)。再び探偵小説が流行るようになったのは、20世紀はじまりのころにダークヒーロー小説がでてから。そのあとルルーの本作やモーリス・ルブランの「ルパンもの」がでた。
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