odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カーター・ディクスン「読者よ欺かれるなかれ」(ハヤカワポケットミステリ) 中身の不可能犯罪よりも、著者がつけた注釈によるミスディレクションのほうが新しい。

 なんとも挑発的なタイトルの一冊。なぜか探偵小説マニアはこういう挑発に弱く、本を手に取るのである。しかも、主題がテレフォース(思念放射)による殺人という現代的なオカルトなのが、さらにそそらせる。

 さて、女流作家マイナ・コンスタブル家には奇妙な客が来ていた。ハーマン・ペニイクという読心術師は黙って座ると相手の考えていることをぴたりとあてる異能の持ち主。弁護士ローレンスに、その友人ヒラリイ・キーンはどうにも否定しがたいと思い、サーンダース博士(前作「五つの箱の死」の登場人物)を呼んで実験することになった。でも、マイナの夫で60歳のサムは頭から否定してかかる。常にマイナを怒らせると同時に、ペニイクも侮蔑してみせた。そこでペニイクはサムにあなたは午後8時30分に死ぬと宣言した。きちんときがえて階段を下るところで、サムはいきなり痙攣して倒れる。ときは予言通りの8時半。サムの事件は心臓まひということで決着がついたのだが、得意なのはペニイク。周囲にあれは自分の思念放射による遠隔殺人だと吹聴し、それはマスターズ警部をいらだたせる。
 そのとき、サーンダースは美人ヒラリイに魅かれ、どうも彼女もいい気分になっているみたいだが、しかし彼女はペニイクと一緒にいることが多くて、サーンダースをいらだたせる。まあまあ、みんなで気を落ち着かせましょうよということになり、葬儀の手配などでマイナの家にはサーンダースだけが残ることになった(メイドたちは交通事故で入院中というカーらしい設定)。というのも、ペニイクはマイナの死を予言していて、どうにもサーンダースは気になったのである。そして新聞社からたくさんの電話がかかってくる中(ペニイクが新聞社に予言の電話をいれ、取材のために電話をかけていたのだ)、サーンダースは心臓まひを起こしたマイナを発見する。彼は、すでに彼女がこと切れているのを確認した。
 ペニイクがはったりをきかせた小悪党ぶりを発揮。ホテルにいると宣言したものの、あちこちうろつきまわって、口を突っ込むので怪しくて仕方がない。なるほど、そのうさんくささは住民たちも共有したと見え、検死審問では陪審員に有罪の評決を受ける。かくして、稀代の殺人事件はおさまったにみえたが、H・Mはマスターズ警部とともに真犯人を捕らえるためのコン・ゲームを仕掛けていたのだった。
 1939年という時代なので、ナチスファシズムへの嫌悪が隠さずに書かれている。と同時に、当時のインフラについてもさりげなく書かれる。すなわち、都市の郊外では電気が通っていて照明はこれに代わっていたのだが、停電が起きることはしょっちゅう。なので、ろうそくが必需品。あと、インド他の植民地はまだイギリスの統治下にあって、割と気軽に長期の旅行に出かけていた。この時代にはすでに世界一周のパックツアーもあるくらいに、外地に行くのは簡単になっていた。まあ、思わぬ代償になることもあるのだが。
 さて、トリックや犯人については言及しないマナーを踏襲する。気になるのはタイトル。「読者よ欺かれるなかれThe Reader Is Warned」なのであるが、どこがそうなのであろうか。そうすると、4か所(あれ3か所だったっけ?)の「原注」があって、とりあえずの主人公であるサーンダース博士が「ここの記述には注意。犯人は複数ではなく一人だよ」「これは遠隔殺人ではないよ。犯人は現場にいたのだよ」と忠告している。本文は三人称の記述なのに、なぜサーンダースが注意書きを書くの? という具合に、語りの主体を混乱させるとともに、とりあえずの主人公サーンダースを読者が懐疑するように誘導している。中身の不可能犯罪よりも、こちらの文章によるミスディレクションのほうが新しいと思えるな。これを全面展開したのが、のちの「九つの答 Nine Wrong Answers」なのだろう。あいにく、このやりかたをカーはうまく使いこなせず、どちらも失敗してしまった。