odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ロス・マクドナルド「地中の男」(ハヤカワ文庫)

 初出の1971年の親子問題を図式化すると、親は1930年代の不況と1940年代の戦争の経験者。社会の不安定さと貧困を見てきたので秩序と平穏を求める。子らは1950-60年代の高度経済成長期に子供時代をすごし、ベトナム戦争の理不尽に出会う。国内では公民権運動が起こり、アメリカの民主主義を正当化できない。親は子の無軌道を理解できず、子は父らの社会的無関心を弾劾する。あいにく両者をつなぐ言葉がないので、彼らは大声を張り上げるか、ぷいと家出してしまうか。それらの問題を乗り越えられそうなのは、小学生以下の無垢な幼児だけ。

 そのような図式は、アーチャーの隣人であるブロードハースト家にもあった。怒りっぽい父スタンは6歳の息子ロニーを連れて山荘に出かけてしまう。車に同乗していたのは、見知らぬブロンド娘。山荘には山火事が近づいているので、迎えに行くと、父スタンは殺されていて、ロニーはブロンド娘スーザンをといっしょに行方がわからなくなっていた。娘を連れまわしていたのは、19歳の大学を中退したジェリイ。探しに来たアーチャーを殴って失神させたあと、この「子供ら」はヨットを盗み出して、ロスアンジェルスからサンフランシスコに向かっていた。再度、山荘に行くと、スタンから金を受け取ることになっていた前科者アルが殺されていた。2つの殺人事件と、ひとつの児童誘拐事件。これが現在のできごと。
 この現在の事件で腹立たしくなるのは、スタンとジーンの夫婦にしろ、スーザンの両親であるレスターとマーサにしろ、ジェリイの両親であるブライアンとエレンにしろ、息子や娘の無軌道や暴力にたいし、説得や解決を試みず、隠蔽と自己保身を図ること。ああ、あとスタンの両親であるリオとエリザベス、そしてブロードハースト家の庭師であるフリッツとその母エドナもか。かれらはロニーの行方を心配しているアーチャーに消極的サボタージュをするかのようにふるまい、事件の影響が自分のもとに降りかかるのを恐れる。なるほど、彼らのひとりはアーチャーを「災厄の触媒の役割」を持っていると非難する。たしかに、アーチャーは彼らに悪い知らせしかもたらさない。それを「オイディプス王」のように自分のことと受け止めることをしない。そこは、両親の無関心に会って愛情の欠如を感じている子供らに同情することになる。
 なぜ彼らがスタンの事件に沈黙しようとするのか。あきらかになってくるのは、15年前。男前で女好きのリオが結婚してからのこと。リオは妻を捨てて、エレンと一緒に駆け落ちしていた。そして二人とも行方不明になっている。しかも、駆け落ちには前科者アルや庭師フリッツの悪行も関係している。彼らの無軌道な行動は関係者に災厄となり、金銭や人間関係の深い傷を残していたのだ。年若かったスタンとスーザンは駆け落ちをした夜に、彼らを見かけている。二人とも心の傷を負っているようで、思春期以降は家族の関係をうまく築けない。リオの行方に無関心になったエリザベスの反対をよそにして、スタンは行方知れずの父の情報を求める新聞記事を一月ほど前に出していた。それを読んだ複数の人たちの行動が、現在の事件が起きる引き金になっている。
 事件の構図は「一瞬の敵」によく似ている。子供らの暴力や逃避を追いかけているのだが、それは父や大人たちの過去を掘り下げていくことになる。彼らは失われた父親を探しにいっている。父を回復することで、彼らは自己の回復や問題の解決になるのではないかと考えている。そのオブセッションに基づいた探究はしばしば幻滅に直面している。すなわち、失われた父親は回復されることはないし、多くの場合は歪んだ自己の顔を見つけることになるのだ。そのような人物はこの小説でもたくさんいる。(タイトル「地中の男」は、事件の様子を示すものであると同時に、掘り起こすべき失われた父親を暗示しているというダブルミーニングになっている)。
 「ファーガスン事件」「ギャルトン事件」あたりからの「父親捜し」の物語は、このあたりで円熟味を見せる。どの人物もリアルであり、われわれ読者との共通点を見出せそうな欠点を持った隣人であるから。ただ、このほとんど最後の物語では探偵のリュウ・アーチャーだけが変わった。初登場時には30代だったアーチャーはすでに60代か。事件の関係者のだれよりも年長のようであり、50代の「父」「母」たちに未熟さを突き付け、問題解決のために子供や過去と向き合えと要求する。そう、要求。あるいは命令。「警察に電話しろ」「お前が息子(娘)を迎えに行け」「病院に入院させろ」などなど。行動の命令や要求だけではない。アーチャーは関係者に過去や秘密を話すように命令する。過去を詮索すること、秘密を掘り返し明るみに出すこと。それは「父親捜し」、オイディプス王のような自己探求の行為にはふさわしいのかもしれない。自分の強い違和感は、現在の事件を解決するために必須の情報であったのか、過去や秘密を暴露するような要求や命令をする権限(法的な、というより倫理的な)をアーチャーは持っているのかという疑い。冷徹なカメラアイ、利害関係のない第三者という「探偵」の役割を大きく踏み越えているのではないか。必要性と権限がアーチャーにあるとする根拠を小説内に求めることができない。
 そして冒頭にまとめた1970年代が若者の叛乱の時代で、多くの若者が大人である父を弾劾していたのだという状況を思い出す。