「実直そうな青年アレックスは、茫然自失の状態だった。新婚旅行の初日に新妻のドリーが失踪したというのだ。アーチャーは見るに見かねて調査を開始した。ほどなくドリーの居所はつかめたが、彼女は夫の許へ帰るつもりはないという。数日後アレックスを尋ねたアーチャーが見たものは、裂けたブラウスを身にまとい、血まみれの両手を振りかざし狂乱するドリーの姿だった……(同書・裏表紙より)」
半分読んだところで中断したこと、およびカバーの登場人物表には載っていない人物の話が後半に出てくるので、ストーリーがわからなくなった。とはいえ、最後の数ページにおける驚愕とかタイトルの「さむけ」の意味が理解できた一瞬とか、そういう床が抜けるような感触はすばらしいな。25年前の自分もストーリーはわからず、登場人物の関係が行方不明になり、どんな事件が起きたかもわからないまま読み進めて、このページにいたったときに、同じ感情を持ったはずだろう。なにしろそんなあいまいな読書の記憶でありながら、ロス・マクドナルドの最高傑作はこれという印象を消さなかったから。
プロットすなわち事件の起きた順序を時間通りに書いてしまうと、単純な事件である。大学生ドリーがいたのは彼女の指導教官であるヘレンの部屋。ヘレンの交友関係を洗うと、その大学の補導部長ブラッドショーが愛人であるらしい。ブラッドショーは厳格な母と一緒に暮らしているが、その息抜きで愛人を定期的に持っていたようだ。そして小説の後半には同じ職場のローラと結婚していることが判明する。また、ヘレンとドリーの間にも昔からの関係が秘められているらしい。ドリーの父親は22年前に殺され、そのときから精神に変調をきたしている。またこの古い事件を担当した警官はヘレンの父親。今は退職し酔いどれになった元警官のいうにはヘレンの父親殺しの有力な容疑者があったが、上からの圧力で事故死にさせられたのだった。その10年後にはドリーの母が殺されている。この二つの家族には、ブラッドショー一家との付き合いがあった。次第に、イライジャという女性が3つの殺人事件に関わっているという情報が集まり、彼女の行方を調べるのが、イライジャは最初のヘレンの父親殺しの直後に亡くなっていたのだった。
というような具合。これでもまだ端折ったところが多い。以上は、古い探偵小説の書き方で語ったプロット。しかし、20世紀も半ばを過ぎ、ケネディ大統領はまだ暗殺されていないとはいえ、繁栄が揺らいできた時代ではそういう書き方はできない。そのために、アーチャーが動き回り関係者の聞き取りをすることがストーリーになり、上のようにまとめた事件の概要も人々の会話で断片的にだされる情報をもとに読者がプロットを再構成した結果現れることだ。私立探偵はこういう断片的な情報を編集する技術の持ち主で、その名人であるのだ。
これらの事件の関係者、現在の生者は過去の事件にとらわれていて、ゆすりたかりに口封じなど、まあ自己表出をできないまま現在の立場を守ろうとしている。それが数十年にも及ぶとなると、精神も持たなくなって異常をきたすことになる。重要な登場人物に精神分析医がいて、彼は多くの人物を治療している。上に揚げたほとんどの人物はなんらかの診療治療を受けている(残念ながらこの時代には向精神薬のよいのはなかったのか、薬物治療を受けていない。ときにペントタールを服薬するくらい)。話したいけど話せない、そういう秘密を持って他の人に隠し続けること、ここらへんが登場人物のトラウマになっているのだろうな。そんな具合にコミュニケーションがうまくできないものだから、逆に他者に過剰な期待をかけることをして、それに応える反応がなかったら落ち込むという悪循環を繰り返している。
そういう過去をきちんと整理しているのはアーチャーくらい。だからこういう人間関係ないし心理の奥底に秘密、事件の鍵を見出すことができるのだろう。とはいえ、この冷たい人物(離婚の経験者だ)は人を救うとか、憑き物落としをすることには興味がない。最後の一行の冷たさときたら。となると、自分はずっと「さむけ」を真犯人のエゴイズムに見ていたのだが、むしろ観察者アーチャーの心の空虚さとか他者への無関心にみるべきなのかしら。
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