odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ヘンリ・スレッサー「うまい犯罪 しゃれた殺人」(ハヤカワポケットミステリ)

 1960年にヒッチコックが編んだ短編集。
 一編あたりのサイズは、原稿用紙に換算して20枚くらいというところ。登場人物はまあ3人。点描的な人物を入れても10人を越えることはない。物語も、せいぜい1時間くらいのできごとで、途中に時間が飛ぶことがあっても同じ日の出来事になってしまう。今の感覚だとショートショートに近いお話。でも、それを映像化するとちょうど一時間に収まるくらいのものになって、ヒッチコックのTV番組にするにはちょうどぴったりの原作になっている。ここに収録された物語では、90分を超えるくらいの映画にするにはストーリーが単純に過ぎるし、登場人物が少なすぎるきらいがあるが、早撮りの必要なTVにはいいでしょう。
 人々の転落やら嘆きやらそういうことが起きて、なるほど都筑道夫のいうように、このくらいのサイズの物語は、人生という樹木の枝を切り取ったときの断面だ。それまでまあまあいい暮らしをしていた人が、ある一瞬を境に元に戻ることが不可能になるようなことに遭遇し、たいていは頭がうまくまわらずに失敗するという次第になる。ホックの短編(ニック・ヴェルベットのシリーズなど)は、読者のひとつ上のステータスの階級を描いて、読者の羨望を喚起するものだとすれば、スレッサーの短編は読者よりも若干下のステータスの人々が登場し、読者よりもすこし頭の悪い判断をすることになっている。たいていの場合、主人公は失敗してしまうのだが、その間抜けさに読者は安心するのだろう。私らはここにでてくる人のようなみっともない事態になるまでにはしないし、きちんと対応できるだろう、と。そういう安心感を得られることが、スレッサーを読み続ける理由になるのだろう

1 逃げるばかりが能じゃない (Not the Running Type) ・・・ 20万ドル(2013年だとその百倍くらいになるかな)を横領した出納係は、15年の刑期を終えて出所した。しかし、金の隠し場所は絶対にしゃべらなかった。いったいどこに隠したでしょう。
2 金は天下の回りもの (A First Full of Money) ・・・ 新婚のアーニーは給料をポーカーですってしまった。妻のいいわけにちんぴらにとられたといったら、警察に届けましょう、警察からは犯人をつかまえたと連絡があって、青くなってしまう。
3 ペンフレンド (Pen Pal) ・・・ 姪のマージ―がペンフレンドにしている相手は無期懲役囚だった。彼はマージー会いたさに脱獄したという。彼は家を見つけ、中年女の住む家に来た。「マージーはどこだ?」 双方にとって苦々しい真実。
4 信用第一 ("Trust Me, Mr. Paschetu") ・・・ うだつのあがらないラリーは週給150ドルの仕事をやめ、親爺の友人のところで週給75ドルで働くことにした。ようやく現金をあつかえるようになったとき、ラリーは計画を進めた。ただ、親爺の友人で経営者の一言が気になって……。「意識の高い若者」には、ちまちま横領するより、会社を全部盗め(経営者になり替われ)と言っておくことにしよう。
5 犬も歩けば (One Grave Too Many) ・・・ 失業中で家賃滞納でアパートを追い出されそうなジョーは、成果のなかった求職の帰り、突然倒れた男の札入れを盗んでしまった。息がないのを確認したが、札入れにはカードがあって、気になってならない。でも、ジョーは正義を実行したのだ。それが幸運にはならないのが、自由主義社会の生き辛さ。
6 41人目の探偵 (40 Detectives Later) ・・・ 私立探偵の「わたし」は妻を殺した男を見つけたので、二人で会えるように手外してくれと頼まれた。奇妙な依頼だった。本当に、奇妙だった。
7 不在証明 (The Morning After) ・・・ ママは娘の結婚に反対だった。今日も娘とそのことで口げんか。シャワーを浴びているときに相手から電話がかかり「妻が死んだから、おまえといっしょにいたと証言してくれ」を一方的にまくしたてる。受話器を下したママは、冴えたやりかたを思いつく。ああ、ぞっとした。
8 恐ろしい電話 (The Deadly Telephone) ・・・ 当時1950年代は、複数の家庭で協同電話を購入した。電話がかかると、いっせいに受話器が鳴り、受信者が話をできる。その通話は他の人に丸聞こえ。誰かが話していると外に掛けられないので、通話に割り込んで切ってもらうように頼む。そういう事情を知ったうえで、数年前に新婚の夫婦から電話を開けてくれと頼まれたが、オールドミスの面々は無視した。結果、妻は死亡し、夫は精神病院へ。夫は脱走したという。婦人は物音を聞いて電話をかけようとした。
9 競馬狂夫人 (Something Short of Murder) ・・・ 友人のいない婦人が競馬にはまっている。賭け屋に電話をかけたらつけの25ドル(今日だと25万円か)を払えという。手元にあるのはわずか1ドル半。そこで夫人はおしゃれをして停車場にたつことにした。後味の悪さは、ギャンブル依存症の恐怖によるものだな。徳と正義がねじれた人びと。
10 気に入った売り家 (The Right Kind of a House) ・・・ 村はずれにある開拓時代(1802年築)のおんぼろ家が75000ドル(今日だと800万ドル?)で売られている。誰も買わないのに、そのよそ者はおんぼろ家に住む頑固婆さんを口説くといいだした。二人の思惑の交差したところに、激しい火花が飛び散る。
11 老人のような少年 (M Is for the Money) ・・・ 思わぬことから銀行強盗の手先になったジャッキーは先輩のアリーの命令で、アリーの家によった。身寄りのない前科者をおっかさんは自分の子供のように迎えた。ある女性が噂話をするまでは幸福だった。最後の一行でタイトルの文字が現れ、読者の心に重苦しいものを残す。
12 最後の舞台 (The Last Escape) ・・・ 稀代の脱出師フェルリニは落ち目だったが、水中脱出に挑んだ。そのような危険を好むのでフェルリニの妻はノイローゼ気味。脱出が失敗するようにと願ってしまう。そしてフェルリニは失敗した。その葬儀の驚愕のできごと。ラストシーンがなんとも痛ましい。その姿はフェルリニの得意げなしぐさに似ているだけに。
13 二つの顔を持つ男 (The Man with Two Faces) ・・・ ハンドバックをひったくられた婦人は警察に届けに行き、顔写真をみることになった。そこに娘の婿が指名手配されていることを知る。娘の身を案じた婦人は警察にその旨を告げたが。
14 親切なウェイトレス (Case of the Kind Waitress) ・・・ 毎晩レストランにくる婆さんの世話をしていたら、遺産を送るという口約束をしてもらえた。でも婆さんは90歳でもまだ死にそうにない。いらいらしたウェイトレスは弟の口添えで食事に毒を混ぜることにした。なんとも皮肉で、恐ろしい結末。中年独身女性の孤独とひきこもりが増幅する憎悪。
15 付け値 (Make Me an Offer) ・・・ 夫婦仲の悪い男が深夜に自宅で物音をきく。そっとのぞくと小男が拳銃を突きつけた。男は小男に取引を持ちかける。妻を殺し、強盗が襲ってきたように見せかけてくれれば、金をやろう。取引は成立したが、なかなか戻ってこない。きになるので。冴えたやり方が悪魔の取引に切り替わるというなんとも恐ろしい結末。
16 眠りを殺した男 (Sleep Is for the Innocent) ・・・妻が火災で死んだあと、その弟が脅迫ししかも同じ町に越してきた。曽以来、ずっと眠れない。頑固な不眠に耐え兼ね、弟を訪問することにした。彼は拳銃を向けていた。不眠の夜、彼は<イリヤ>@エマニュエル・レヴィナスを確認する、というわけかな。 
17 処刑の日 (The Day of the Execution) ・・・ 新進の検事は裁判の結果に満足していた。なにしろ、彼の仕事のために、事件を思惑通りの死刑にすることができたから。その処刑の前に老人がきて、実はあっしが殺したのだ、と告白した。検事は困惑し、追い返すが、その処刑の当日に老人は警察に行く決心をしたという。あわてた検事は老人を抑えようとする。「正義」を体現するものの傲慢と弱さ、かな。ここでも皮肉をこめて、エリート検事の足元を掬う。


 シンプルなストーリー構成と強烈なおちは紹介しやすく、間羊太郎「ミステリ百科事典」(現代教養文庫)でいくつか紹介されていた。優劣をつけるのは野暮だろう。無理にやるとすれば、「気に入った売り家」「老人のような少年」「最後の舞台」がとりわけ印象深いかな。