odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

高木健一「今なぜ戦後補償か」(講談社現代新書) 強制移住や収容などに補償する西洋と強制労働や性奴隷などに補償しない日本。

 20世紀の15年戦争は、周辺諸国および交戦国に多大な被害を及ぼしたわけだが、この国にいると1952年のサンフランシスコ条約で全部清算されたと考える。しかし、1990年以降に韓国、中国、台湾の戦争被害者が日本や現地の日本法人を相手に補償を請求する裁判が行われるようになった。それ以前には、この国に在留する在日コリアンなどによる被害補償を請求する裁判を起こしてきた。政府及び裁判所はこの訴えを退けてきたが、しだいに和解や補償をするようになってきた。とはいえ、その実態と過去のできごとを把握するために、この本を読む。

第1章 私と「戦後補償」問題 ・・・ 戦争加害国(とりわけ先に交戦を開始した側)には戦争責任がある。そこには加害者として刑事罰のみならず被害者への人権救済と金銭的補償(および後世への記憶と啓発も)がなされねばならない。第2次大戦の被害があまりに広範であり、かつ深刻であるので、戦争責任と戦後補償を制度化するようになってきた。この国はきわめて遅れている。理由のひとつが被害国の民主化が遅れたために戦争犯罪や責任追及が行われてこなかったことと、この国のなかに戦後補償の考えが極めて乏しいことにある。

第2章 アジア・太平洋地域の被害者—消せない記憶と証言 ・・・ 国内の本邦外出身者、朝鮮、中国、台湾、香港、インドネシア、マレーシア、タイ、シンガポールパラオパプアニューギニアでの戦争犯罪と戦後補償追及の運動のまとめ(2000年まで)。強制連行、強制労働、慰安婦、原爆被災、資産奪取、傷痍軍人BC級戦犯、不発弾などの戦争に関係する犯罪や道義的罪の羅列。

第3章 世界の国々の「戦後補償」 ・・・ ドイツ、アメリカ、カナダの取り組みを紹介。ドイツでは政府と企業による基金ができた。アメリカでは強制移住や収容にたいする回復が行われている。教育内容にも盛り込まれ、過去の過ちを啓発継承する試みが行われている。この章では日系人と日本の戦地で起きた問題に限っているので、他の事例もあるだろう。

第4章 戦争の後始末をする—国際社会のなかで補償の筋道を立てる ・・・ 戦争責任を問う動きは20世紀初頭から。いくつかの条約ができたが、にもかかわらず第2次大戦で甚大な戦争被害が生じた。ニュルンベルグと東京の軍事裁判で戦争犯罪が裁かれることになり、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の3点で裁かれた。しかし、裁判の中で問われなかったり、罪の範囲があいまいだったり、責任対象外のひとが戦犯とされたりした。そのためか、日本では15年戦争の責任を問うことや、被害回復を行うことがないがしろにされている。


 第2章に書かれた被害者の記憶と証言にはショックを受けた。ほとんどの事例は知らないことだったから。この国の戦後史がいかに内向きか、せいぜい西洋にしか目を向けていないか。入手しやすい資料や解説からしてそうであり、そのうえ初等・中等教育で近代史がほぼ無視されている。自国が20世紀以降に何をしていたのか、ほとんど知らないままの日本人がいる。それは周辺諸国との外交やビジネスにマイナスになるだろう。周辺諸国の人々がセンシティブな反応をするところに、われわれ日本人は鈍感であるか、差別意識を持ってしまうから。遺骨収集でも、現地の人の意向を無視して発掘したものを全部日本に持ち帰って顰蹙する例があったとのこと。
 驚くのは、15年戦争の戦争被害が極めて広範囲に及んでいることと、被害者が極めて多いことと、被害実体が極めて多様であること。そのうえ、被害に対する補償や原状回復行為を戦後70年間、ほぼ一貫して行ってこなかったこと。政府や企業のいいぶんは、サンフランシスコ条約で免責されているというのと、戦後の経済援助で代替されているというあたり。国と国の関係であればそのようなバーター取引や時々の情勢によって言い抜けをしたりすることもありうる(1990年まではそういうやり方だった)。
 しかし、国際社会では戦争責任を免責しないようになっている。15年戦争のみならず、その後の紛争や戦争において戦争犯罪は摘発され補償が行われるようになっている。いわゆる先進国の中では、日本は戦争犯罪と戦後補償にたいする責任をほとんど取っていない。むしろ15年戦争を肯定しようとする運動まで起きている(というか大きな政治勢力になっている。例:日本会議)。これはこの国の信用と評判を貶めることに他ならない。これではだめ。
 戦後70年という時間が経過したので、直接の戦争被害者は少なくなっている。そのことは戦争責任と戦後補償を免責することにはならない。加害者は忘れても、被害者とその関係者は決して忘れない。なので、放置している限りいつまでも戦争責任を問われるだろう。そうではなく、戦争責任を認め、戦後補償を制度化することが必要。最後の章に著者による試算があるが、この国の予算や投資に比べると極めて少ない額で実行できる金額になっている。国と企業の協力と市民の監視が必要であろう。