odd_hatchの読書ノート

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丹治愛「ドラキュラ・シンドローム」(講談社学術文庫)-2 「ドラキュラ」は19世紀末ヨーロッパの変化を読み解く格好のテキスト。

2026/04/14 丹治愛「ドラキュラ・シンドローム」(講談社学術文庫)-1 ドラキュラは帝国主義・反ユダヤ主義・感染症としての画国恐怖(ゼノフォビア)の物語。 1997年の続き

 

 2023年に追加された「増補 もうひとつの外国恐怖症」によると、1997年から2023年までに「ドラキュラ」論文は世界で600も出たという。「ドラキュラ学」の論点は外国人恐怖のほかに、「家庭の天使」vs「新しい女」、セクシュアリティとジェンダー、サイエンスとテクノロジー、進化論と退化論、心理学と心霊現象だとのこと。俺が思いつきそうなことはすでに指摘済みだった。ああ、素人の俺がドヤ顔でいったことはすでにどこかのだれかが書いていることだった。
 ひきつづき、「吸血鬼ドラキュラ」から外国恐怖を読み取る。今度は科学を根拠にする排外主義。

パストゥール革命
第7章 コレラ恐怖と衛生改革 ・・・ インドの地方病だったコレラは19世紀末にパンデミックを複数回起こし、多数の死者を出した。高い致死率、早い感染速度、激烈な症状で恐れられた。他の土地から来る死の病に植民されるという外国恐怖を生むきっかけになった。文明化した地域が原始的な力によって植民地化されるという恐怖を生み出した。ヨーロッパからみると、東欧(ペンシルバニアは当然そこ)はオリエントで、東洋の闇を象徴している。啓蒙主義は国内で衛生改革(それでコレラの感染を防いだ)の光を照らしたが、植民地では暴力という闇を持っていた。ドラキュラは東洋からくる不思議な力の象徴で、文明先進国を支配する陰謀でもある。小説はこれを粉砕する物語だが、そこには東洋に反転したヨーロッパの自己像をみることができる。

第8章 瘴気恐怖と細菌恐怖 ・・・ 18世紀の後半から悪臭・湿気・腐敗などへの態度が変わる。コレラを忌避し清潔であろうとする。しかし、実際のロンドンは人口と馬の急増で悪臭と腐敗に充ちた街だった。悪臭への嫌悪は瘴気概念となり、疫病の原因とされた。19世紀半ばのパストゥールの「革命」とその後の病原菌の発見により、疫病の原因は細菌と分かったが、瘴気概念は残る。細菌は知覚できないので、死をもたらす不可視の存在としておそれられた。19世紀半ばから肉体や国家を軍事的に比喩するようになり、疫病は不潔な人びとがもたらす外来起源の侵略軍に例えられた。なので、疫病に対する攻撃を正当化された。ここでユダヤ人移民や集住地区が不潔・悪臭を放つものであったので、容易に反ユダヤ主義と結びついた。ドラキュラは自身が悪臭を持つもので、腐植土に接していたので、ドラキュラを攻撃することは疫病退治と同じになった。

おわりに――ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究 ・・・ 外国恐怖症はイギリス自体の者である否定的要素・恐怖の原因を外国に投射して「不気味な姿」にすることで成立する。帝国主義的侵略恐怖はイギリスの残虐な自画像、貧窮外国人ユダヤ人恐怖は国内の社会問題を外部化、アジアコレラ恐怖は国内の劣悪な環境の外部化。自分の否定的イメージを他者に投影し、それに対立するものとして肯定的な自己像を獲得する。ナショナリズムの必然的な症状である。
文学研究の方法を使うと、「ドラキュラ」を自己完結的で閉ざされた全体性とはみなさない。他のテキストやディシプリンに開かれている。

増補 もうひとつの外国恐怖症――エミール・ゾラの〈猥褻〉小説と検閲 ・・・ 絶版になりかけた本書を文庫化するにあたり増補された章。ここでは「もうひとつの外国恐怖症」として女性嫌悪(ミソロジー)をみる。1880年代からイギリスでは主にフランスの性的主題を扱った小説が流入することに危機を感じていた。1888年にゾラ「大地」が猥褻出版として有罪になるくらい。そのあとに書かれた「ドラキュラ」は、ポルノグラフィックな描写と、男たちのサディスティックな女性への攻撃性が書かれる。とくにルーシー。彼女は貞節な女だったのがドラキュラの「キス」のあとニンフォマニア(淫乱症)になる。それを男性はサディスティックにまるで切り裂きジャックのように「殺害」する。強い使命感をもっていることで正当化される。それまで女性は無性欲であるというイデオロギーがあったが、このころから女性の性欲が発見された(ルーシーの外観は自慰をする女性(当時の見解)に一致する)。なので男性キャラは彼女の性欲を認めない。それは梅毒恐怖と、道徳的腐敗を恐れているから。ストーカーの意図も女性の権利拡大に対する警鐘とみなせる。

 

 大英帝国は世界中に日が没することはないという世界システムの覇権国だった。覇権をとって200年以上もたつと、周辺の後進国がキャッチアップし、植民地の支配は揺らぎ、国内に多様な民族と人種が集まる。植民地で行った残虐行為は同じことをされるのではないかという恐怖を引き起こす。自信を失った支配層はナショナリズム喚起と外国人排斥に向かう。そういうのがブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」でよくわかる。同時代の大量の文献を読み込むことで、19世紀末を明るみに出した手腕に感謝。
 「吸血鬼ドラキュラ」と同時代のエンタメ小説は多少は読んできたが、いずれからも「外国恐怖」を照らし出せる。いくつかあげてみると、本書にでてきたドイル「四人の署名」ウェルズ「宇宙戦争」ハガード「ソロモン王の洞窟」。さらに追加するとリチャード・マーシェ「黄金虫」ウィリアムソン「灰色の女」ザングウィル「ビッグボウの怪事件」などがある。それぞれに外国恐怖の諸相をみいだせるが、帝国主義、反ユダヤ主義、感染症、女性嫌悪を一冊で見ることは困難。ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」はまさにその時代のいっさいをまるごと盛り込んだ稀有な小説なのだね。
(時代をまるごと盛り込めたのには、シェリー「フランケンシュタイン」、スティーブンソン「ジキル博士とハイド氏」がある。時代の違いが外国恐怖の違いになっているので、三冊を比較することができそう。)


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