紙幣印刷用の特別な紙が盗まれた。その報道を聞いたとき、近藤庸三はビジネスの種をみつけた。すなわち、贋造紙幣を作るには印刷用の版を作らなければならない。それができる名人は数人といないだろう。ならば先に名人を押さえれば、偽札つくりの儲けをピンハネできる。というわけで、名人のもとに向かったが、そこにはライバルの土方利夫がまっていて、同じことを考えていた。いずれも相手をだしぬく渡世の稼業。協同してことにあたることはない。そこでここは賭けに勝ったものが先に名人に接触しようということに決めた。
というわけで、このあと新撰組のメンバーの名を持つ面々が現れて、だれが味方でだれが敵かわからないゲームに乗り出すことになる。上の二人のほかに芹沢(別名鴨居)、沖田、坂本ら。俺はあまり新撰組をしらないが(幕府の犬に興味はないので)、確信をもっていえないが、長井や高原などもそうなのだろう。
灰汁の抜けた名人・坂本は妙に近藤らに協力的。自分がゲームの駒になっているのを知ったうえで、わがままを通し、むしろ近藤らを手玉に取って楽しんでいるよう。同居するばあさんもガンさばきの凄腕(当時アメリカの西部劇ドラマが放送されていて人気があった)。近藤らは紙を強奪した一味のボスである芹沢に接触し、売り込みに成功するものの、芹沢はすぐさま死体になってしまう。そして坂本名人も行方不明になる。芹沢の雇った若い女性・友子は裏切られたと知ると、今度は近藤にすり寄り、身の軽いところとグラマラスなボディをみせつけて近藤のアシスタントになってしまう。助けたものはあとになって近藤を襲撃するし、土方も先回りして近藤のビジネスをじゃましようとする。事件の全体もわからないまま、最も利益の上がる取引をしようとして、虚々実々の駆け引きをし、命を狙われているときには機知と冗談で切り抜け、そうできないときは身一つでなんとかやっていかなければならないのである(近藤の同僚が桔梗信治や吹雪俊作で、その息子にあたるのが片岡直次郎や猿(ましら@「全戸冷暖房バス死体付き」)。
とても古い小説をだせば、J・マッカレー「地下鉄サム」(創元推理文庫)のような一匹狼のアウトローが裏社会を渡り歩いていく話。ただ近藤も土方も権力を握ることに興味はなく、金儲けに注力する。時代小説の渡世ものあたりを近代化したといえるか。独力で事件にかかわるところは、ハードボイルドであって、いくつか出る死体の謎解きをしなければならないのは探偵の真似をしているともいえる。でも、ここには家族の問題もないし、社会の問題も現れない。読者がまったく傷つかないところで紡がれる物語。3時間を楽しむのに抜群のエンターテイメント。21世紀に読むには、1962年の風俗はちと離れすぎているか。
(物語は東京案内にもなっている。メモしただけでも、中野-お茶の水-荻窪-道灌山-上野-浅草-新橋-両国-鍋谷横丁-新宿-神田-西銀座など(登場順)。皇居と霞が関、丸の内をのぞく二十四区をほぼ網羅する。土地勘のある人はその場所を思い浮かべながら読むと楽しい。)
「紙の罠」は1962年の発表と同時に映画化。中平康監督で「危いことなら銭になる」。宍戸錠の近藤、左卜全の坂本名人。未見未聴。