地下鉄をもっぱらの仕事場とするスリのピカレスクノヴェル。1919年がアメリカの初出で、「新青年」で連載が開始されたのが1922年のこと。翻訳者は「新青年」の編集長を務めた人なので、確かなことなのだろう。
サムは下町の中年独身男。スリを本業としていて、地下鉄で仕事をすることにこだわっている。敵役はクラドック探偵(警部だけどそう訳している)。まあ、頑固で意固地で人情家の中年オヤジだ。この二人はセントラルパークで毎日あっては憎まれ口をたたきあう。サムは仕事に成功し、警部は悔しがるが、その掛け合いを楽しんでいるみたい。この二人のツッコミとボケに、探偵小説風の謎解きないし種明かしが加わる。まあ、探偵小説史上の必読文献ではないけれど、電車を待つ10分間をつぶすには格好のショートショート。
サムの放送 ・・・ サムがラジオの生放送に出演されることになったが、アナウンサーにこけにされたので、仕返しをする。
サムと厄日 ・・・ 「3月15日は厄日だから仕事にでないほうがよい」と忠告されて、その通りのひどい目にあったが。
サムと指紋 ・・・ クラドック探偵(ルパン三世に対する銭形警部)の仕掛けで、指紋ののこる紙幣をちょろまかし、現行犯逮捕されそうになった。意外な隠し場所。
サムと子供 ・・・ 子供の誘拐が頻発していた。地下鉄でメキシコ系の子供が事故にあいそうになったので、手助けしたら誘拐犯と間違われてしまった。クラドック探偵の人情譚を楽しむ。
サムとうるさがた ・・・ 2年前に旅行したセントポール市のうるさい田舎者に一日中、しつこくつきまとわれる。大金の入った財布をみせつけたので、この田舎者から財布をすろうと隙をみつけようとするのだが。
サムの紳士 ・・・ 今日もクラドック探偵はサムの後をつけてくるのでうっとうしくてかなわない。ある紳士に目星をつけて財布を狙ったが、その前に彼は尻ポケットから財布を落とした。サムは財布を取ると紳士に返してあげた。さて、なぜでしょう。
サムと名声 ・・・ 近頃、「高架のエルマ」という掏摸が幅を利かせている。ここはたたいておかないといけないということで、サムはエルマの後をつけることにした。
サムと大スター ・・・ 映画館にいくとハリウッドのスター、ハロルド・ハンサムが舞台あいさつにきていた。その鼻持ちぶりが気に入らないので、サムは彼の財布をすろうとするのだが。
サムと贋札 ・・・ ドラッグストアに勤めたサムは、半日のうちに3回も詐欺と偽札にぶちあたり、40ドルも損をしてしまう。それを回収しようと、サムをだましたおやじを見つけようとするのだが。アンモラルな結末がすこしばかり後味悪い。
サムと南京豆 ・・・ 南京豆のナッツとかいうのが元親分が宝石を持って逃げたという話をもってきた。サムはその元親分の財布から宝石を盗んだが、クラドック探偵に尋問された。意外な隠し場所。
物語はまあ落語風。もっと品を持たせて、ブラックな味わいを増やせばルヴェル「夜鳥」に近い。その書き方に注目してもよいけど、ここは1920年代の大量消費時代、大衆娯楽時代の雰囲気を味わうのがよいだろう。この小説によると、1919年のニューヨークにはすでに複数の地下鉄路線があり、それを乗り換えることで一日中、あちこちに移動することができた。ラジオ放送が始まっていて、一般庶民が複数の局の番組を楽しみにしていた。映画は無声だけれど、その設備の豪華なことといったら比類がない(ほとんどオペラハウスのような豪華でたくさんのひとを収容できる映画館が複数たてられていたのだ。そのきっかけになったのは、ある映画会社が大幅な価格の引き下げによって、大ブームを巻き起こしたから)。ハリウッドの流行は即座にニューヨークにやってきて、モードに関心ある層は映画スターを追いかけて、スターの服装を真似していたのだった。
フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」1925年とドライサーの「アメリカの悲劇」1925年が同時にあったのだが、その両方をこの短編で軽妙に描いている、というのはほめすぎだろうな。
重要なのは、そのようなアメリカの大衆文化の物語を同時期のこの国の貧乏インテリやサラリーマンなどが受容していたこと。本格探偵小説よりも、こちらのほうが人気があったくらい。おっと、この「地下鉄サム」は都築道夫センセーのホテル・ディックシリーズに「エンコの六」として登場しているのを書き忘れるところだった。
都筑道夫「殺人現場へ二十八歩」(光文社文庫)
都筑道夫「毎日が13日の金曜日」(光文社文庫)
都筑道夫「探偵は眠らない」(新潮文庫)
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〈追記2024/4/26〉
小林信彦「日本の喜劇人」新潮文庫によると、榎本健一の映画「ちゃっきり金太」1937年は、地下鉄サムの設定をいただいているとのこと。榎本健一の金太がサムで、追いかける目明し倉吉がクラドック警部。1950年代には地下鉄サムのアンソロジーが4冊以上でている。日本の読者にうけていたようだ。