ニューヨークの演劇プロデューサーはあるパーティで作家志望の若い娘に引かれる。数回断られた後、デートに成功すると、彼女の境遇が惨めだったので、妻が旅行で不在になる間自宅を仕事場に使うように進めた。仕事は順調に進んでいるようだった。妻の帰国を迎えに行って、自宅に戻った時、見つけたのは寝室で首をつっている娘の姿。
警察の調べによって明らかになったのは、プロデューサーが娘を誘惑して、結婚を申し込んでいると吹聴していること。それに妊娠中でもあった。身に覚えのないプロデューサーは、妊娠した娘が自分を罠にかけて(だから「女郎蜘蛛」)、認知裁判を起こすのだろう。その結果、自分は女優の妻と別れ、スキャンダルで演劇界から追放されるだろう。そこでプロデューサーはトラント警部補の追及をかわしながら、真犯人を探すことにした。
というストーリーであるが、視点はプロデュサーの一人称。かつての探偵小説では、事件の関係者が語り手にならずに無関係な第三者が書く。それが客観性を担保するのだが、ここでは第一級の容疑者の視点で語られる。そうすると客観性や正確性が失われる代わりに(なにしろ探偵役はほとんど登場しない)、逮捕やスキャンダルの恐怖に脅かされることになる。マッカーシズムの最中の1952年(初出)は、誰もがスパイにでっち上げられるのかもしれないという不安があったから(ことに芸能界、映画界で)、この中年の不安は読者も共有したに違いない。
このやりかたはアイリッシュも使ったが、クェンティンでは上流階級で起きるので、金の不安がないことが異なる。今晩泊るところに困らないなど生活不安がないので、俺のような金のない庶民からすると、切実さが伝わらないのだよな。くわえて、この男性作家による女性の描き方がかなりエキセントリック。すなわち、登場する女性は二面性をもっていて、男性から見えないところを隠し持っていて、いつでも男性を傷つける可能性をもっているとみている。作家志望の娘が生前の世間知らずで、助けを求めていて、無垢に見えていたのが、死後に多数の男を誘惑して自分の利益を最大化する策略の「運命の女(フェム・ファタール)」であるとするところに顕著。プロデューサーを愛している妻も事件を知ると、夫を離れたがるし、上階に住む女優もプロデューサー夫婦にちょっかいを出して、自分が優越であることを主張するために傷つくような言動を繰り返したり。逆に事件に無関係な人物になると、たんに気のいい男に使える女性になる。ことにプロデューサーに会う前の娘を知っている黒人の娘の描写に顕著。彼女は貧しい暮らしをしているのだが、その背景にあるものにプロデューサーは気付かないうえ、彼女の美徳であると憐憫するだけ。もちろんこれらは書かれた時代からすると、男性優位や女性蔑視がある制約はしかたないところがある。でも21世紀に読むのは不快(だから、事件の構図は割と早くに読めてしまう)。
男を誘惑する「運命の女(ファム・ファタール)」のモチーフは横溝正史が得意。「女王蜂」「仮面舞踏会」。クリスティだと年増で現れる。「マダム・ジゼル殺人事件」「エンド・ハウス殺人事件」。ハードボイルドでも、ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」。「運命の女(ファム・ファタール)」のモチーフは1930-40年代のハリウッドで大いに流行ったのだが、1952年ではすこし時季外れの感。ブロードウェイを舞台にしたのに、ヘレン・マクロイ「家蠅とカナリア」1942がある。
自分がミステリを読みだした頃はクェンティンは入手が困難。入手できたのは「二人の妻がいる男」「我が子は殺人者」くらい。「パズル」シリーズは名のみ知っていたが、ポケミスの古い訳だったので実物を見たことはない。今は、創元推理文庫の新訳でよみやすくなっている。本書のプロデューサーであるピーター・ダルースとその妻アイリスは「パズル」シリーズの主人公だそう。なるほど、シリーズ最後の本作でそれまでの探偵役が容疑者になるという趣向をとったんだね。
「ナニーはコーヒーを淹れ、リューバ・ヴェリッチュの『サロメ』の終わりのあたりをかけた(P31-32)」
リューバ・ヴェリッチュ(Ljuba Welitsch)は1913年ブルガリア生まれ1996年死去のソプラノ歌手。
リヒャルト・シュトラウス「サロメ」のタイトルロールとして有名。戦争中はオーストリアにいて、1944年の上演で作曲者がリハーサルに立ち会った。戦後ロンドンやニューヨークで活躍。YouTubeにリヒャルト・シュトラウス「サロメ」のフィナーレの録音が二種類あった。wikiによると有名な録音は1949年と52年のメトロポリタン・オペラのもの。それはYouTubeになかった(でもこの時期、SPだったはずで、7-8枚組の「サロメ」フィナーレは相当高額。もっているピーターのリッチなこと!)。ヴェリッチュはマリア・カラスより前の古い発声なので、人によっては「下手」に聞こえるかも。
Final scene of Salome by Richard Strauss. Recorded 1944 with the Orchestra of the Austrian radio.
Ljuba Welitsch Wiener Philarmoniker Clemens Krauss 1951
<参考エントリー>
「運命の女(フェム・ファタール)」についてはこの本を参照。