odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

アイスキュロス「仁慈なる女神たち(エウメニデス)」(慈しみの女神たちとも)(KINDLE) 一族に降りかかった神々の呪いを解くのは市民が陪審する法廷になる。人間は徳と知恵をもって公正と正義を実現しなければならない。

 オレステイア三部作の第三作。アガメムノン伝説に基づくもので、復讐を遂げたオレステスのその後。今回は内山敬二郎訳で読んでいるので、タイトルは「仁慈なる女神たち(エウメニデス)」。別タイトルでは「慈しみの女神たち」。


 復讐を遂げたオレステスは錯乱してアルゴスの街を飛び出した。それから幾星霜。さまざまな苦難を経ていまやデルポイアポロン神殿にいる。アポローンは自らがオレステスに母殺しを命令しヘルメスに彼を保護するよう命じていた。しかし地下に赴いたクリュタイメストラは亡霊となり、かつて神々に供物を備えたのに神々はなにもしないと憎しみをぶつける。そうするとエリーニュースの復讐の女神たちはオレステスを追い、彼を地下世界に連れていき、血の償いをさせると執念を燃やすのである。エリーニュースの訴えを聞いたアポローンは彼女らの依頼を一蹴するが、しかし正しい裁きが必要であると女神アテナが主宰する法廷を開くことを命じる。アテナはさっそく12人の市民を陪審員と決め、オレステスアポローン、エリーニュースの弁明と告発を聞くことにした。オレステスは母殺しを認めるが、それは神のお告げにしたがったまでのもの、それに長い放浪によって殺しの穢れは洗い流されたと主張する。アポローンは、クリュタイメストラが殺される前に夫アガメムノンを殺していることを問題にする。そして母殺しよりも夫殺しの方が重罪なのだ、女は子を保護するだけ、男親こそ真の親であるからと主張する。エリーニュースらはアポローンが以前父を縛ったのに何を言うかと嘲る。
 そして市民の陪審員が投票することになり、オレステスの有罪無罪の票は同数だった。アテナがオレステス無罪を主張したので、裁判長の一票が加えられオレステスの無罪が決定された。
 歯噛みし悔しがり復讐を誓うエリーニュースら。女神アテナは票が半々なのでエリーニュースの言い分が破れたわけではないとなだめるも、彼女らは納得しない。そのままではアテナイ全土に災いと呪いが降りかかりそう。そこでアテナは神聖な地に市民が彼女らを崇め祀られるようにすることを提案する。ここでようやくエリーニュースの妄執は解け、復讐の女神から仁慈の女神になり、新たな聖域に赴いたのであった。
 この裁判の判決を21世紀の視点では受け入れがたい。強いミソジニーがあって、男女を平等とみなさないから。そこは2500年前のできごととして不問にすることにしよう。国家ができるとミソジニーが強くなるのはいったいなぜか。ここはしっかりとおぼえておくことにする。
 オレステスの一族は神の命令によって不義と不倫を繰り返してきた。祖父タンタロス-父アトレウスと、殺人、近親相姦、裏切りによって汚されていた。今回は子オレステスによる母殺し(無視されているが愛人アイギストス殺しもある)が起きた。この呪いはさらに子孫に続くはずであるが、それを止めるのは市民が参加する裁判だった。神々が人間に介入するのではなく、神の宣託によって事を決するのではなく、人間が人間のできごとに始末をつける。ここがギリシャの民主制の到達点なのかしら。当然、人間のできごとを神々に代わって裁くようになるには、十分な徳と知恵を持つことが必要である。市民は家柄と資産だけで評価されるのではなく、徳と知恵をもって公正と正義を実現しなければならない。そういう人格であらねばならないという要請が本悲劇から読み取れそう。
(当時は学校はなかったので、家庭教師をつけて個別学習するしかなかった。アテネの外にいる智者はアテネに来て、問答競技などで名を高め、家庭教師になった。彼らは新しい自然科学や算法・幾何などを教えた。その運動を苦々しく思い、「ソフィスト」=詭弁家と呼んで弾劾したのが、アテネ生まれでアテネ育ちのソクラテス。以上、田中美知太郎「ソフィスト講談社学術文庫の要約。)

 ソポクレスには女子が主人公になった「アンティゴネ」と「エレクトラ」があるのに、アイスキュロスには女性が目立つ悲劇はない。オレステイア三部作でも女性はめだたず主張しない。第二作の「灌奠(かんてん)を運ぶ女たち(コエーポロイ)」(供養する女たちとも)にはエレクトラが登場するが、ソポクレス作のように悲劇の中心にあるわけではない。
 総じてソポクレスの二世代ほど上のアイルキュロスは女性の見方がステロタイプ貞節な妻や娘であるか、憎悪と復讐にとらわれる悪女であるか。男の言いなりになることを受け入れているものは美しく描かれ、そうでない狂乱するものや憑依する能力をもつものは遠ざけられ、排除の対象になる。アテネの民主性は市民の全員参加であったとはいえ、奴隷と女性は政治参加の自由を奪われていた。その反映なのだろう。
(逆に言うと、政治参加の自由を持つ成年男性であっても、本悲劇のアポローンオレステスのように自分の無罪の評決が出たら、そそくさと居なくなってしまう。自分の不始末の後始末を他人におしつけ、責任を取らない男の姿はみっともない。情けない。)
 とはいえ、衆としての女性を無視するわけにもいかない。アイスキュロスが女性のストライキを描いたように、アイスキュロスでも「嘆願の女たち(ヒケティデス)」と「仁慈なる女神たち(エウメニデス)」では衆としての女性の要求にこたえている。議論と投票に関与できなくても、政治に関わることはできるのだ。そこは重要。女たちの運動は公正と正義を実現する力を持つ。民主制の希望。

 

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