odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)9-13 第2巻は昼の章。理性の光が注ぐ昼から陽が落ちるにつれて、差別があちこちで顔を出す。

2025/08/22 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ I」(集英社文庫)1-8 第1巻は午前の章。聖務日課のパロディで始まると、スティーブンは宗教と労働の意味を懐疑する。 1922年の続き

 

 続いて第2巻。章は9から13まで。前回の感想は以下。サマリーはそちらを参照。
2023/10/20 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)9.10  1922年
2023/10/19 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)11.12  1922年
2023/10/16 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)13.14 1922年

 第1巻は午前中(というか午後2時までにブルームが昼食をとるまで)。第2巻は午後。といっても1904年6月16日は夏至に近いので、昼は長い。この巻の最後「13.ナウシカア」は午後8時から9時までのできごとだが、章の終わりが日没という具合。太陽の光がさしているかどうかは、テキストにも現れている。この巻は出典がある(と思う)引用が次々に現れ、ダブリンの市井の人たちがしゃべる隠語や猥語が出てきて、当時の街で語られていた言葉が現れる。音の響きにも敏感になっていて、ある言葉がでてくると韻を踏んでいる(あるいは頭の音が同じ)言葉が次に出てきて、まるでダジャレ合戦のように音が似た言葉がでてくる。ああ、これは当時のことをよく知っていて、英語(と英国の植民地の言葉)を使える人は、注など見なくても、言葉や文の隠れた意味を即座に理解して笑うのだろうなあ。引用されたもとの文学や詩や歌などが即座に頭の中にでてくるのだろうなあ。そういうのが読書の楽しみになるのだろうなあ。
 そうすると、この国の列島の住民が「ユリシーズ」を笑って読むには、19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランドとイギリスとヨーロッパをいっしょうけんめい知ろうとしないといけないねえ。注に依存すると、読書のスピードが落ちるから。

 あといくつか気づいたこと。
・9章のスティーブンのシェイクスピア論。まわりの茶々とスティーブンの韜晦と衒学が過ぎて論旨は俺にはよくわからなかったが、解説を見ると、ハムレットと父の関係はシェイクスピアの死んだ息子と自身の関係にパラレルらしい。俺が妄想するに、その関係はブルームの死んだ息子と彼の死がトラウマになっているブルーム本人にも重なる。のちにスティーブンを介抱したブルームは若いスティーブンに死んだ息子の面影を重ねることになる。通常それはオデュッセイアと息子の関係に重ねることになるが、この章をみると「ハムレット」にもなるのだろうね。(さらにソポクレス「オイディプス王」も見れそう)
・死んだ息子がトラウマになっているせいか、ブルームは妻モリーとは没交渉。でも彼は好色ではないわけではなく、古本屋でポルノ小説を買ったり、川岸の藪に隠れてピーピングとオナニーしたりするくらいに好色。でも、それは妻の不満を招くことになり、知っていて不倫を見逃すことになる。彼にも苦悩はあるはずだが、はた目からすると、ブルームのトラウマの事情を知らないので、妻を寝取られている間抜けな男とみなされてしまう。
・「12.キュクロプス」の語り手は犬だ。再読して確信。人間に邪見にされて暴力も振るわれる犬だから、〈市民〉のナショナリズムをバカにするような視点を持てるのだ。ハンガリー出身ユダヤ人であるブルームがレイシズムに対抗するのに博愛を主張するしかないのは、排外主義にナショナリズムで対抗しても怒りを買うだけだから。差別の権力の不均衡がよく表れているシーン。
(どうもヨーロッパではユダヤ人でなくてもハンガリー人であることは差別の対象になるらしい。政治が不安定で亡命や難民をだしていたせいか?)
(バージェス「ジョイスプリック」によると、〈市民〉citzenは小文字で表記されていて、「これ自体が話をしぼませるものとなっている」とのこと。)
・13章でナウシカア役のガーティーはいつか結婚することを夢見ているのだが(しかし自分が夢見るような玉の輿に乗れないこともよくわかっている。なのでナルシスティックな語りになる)、結婚相手で夢想するのは中年男。同世代の若い男を結婚相手とは思っていない。というのは当時の結婚では男が持参金を用意しなければならず、持参金の相場だけの金を貯めるには10年以上かかってしまうから。そうすると年の離れた男女の結婚になり、年上の男は若い(ときに未成年の)女を妻にする。直ぐに子供が生まれてしまうので、子育てに関与しない父は家を出て遊んでしまう。ときには女房を殴るのを趣味にしてしまう。貧しい家庭の女性は、現在の境遇から逃れる機会は結婚くらい。でもより厳しい状況に陥ることもある。
(こういうのが改善されるのは、戦争のために男が職を離れて女性が就職して社会進出できるようになってからなのかな。)
・午後の日が出ている間は、スティーブンもブルームも理性と論理で考える人。夕暮れになってからロゴスは隠れてしまう。すると昼が隠していた性と死がそこかしこからうごめきだす。

 

 「ユリシーズ」は「ナウシカア」の後半が猥褻文書とみなされ、掲載した雑誌は発売禁止になった。そのために評判が高まる。そこで出版を企画したが、引き受ける出版社がない。そこでジョイスを支援している者が予約者を募って限定出版することにした。とても高価な値付けをした。それでも予定数を満たした。出版した本はイギリスやアイルランドにはちゃんと郵送されたが、アメリカでは税関が没収してしまった。そこでヘミングウェイらが策を検討する。税関が没収しないカナダに送り、運搬者が下着に隠すなどして「密輸」し、数百部をアメリカの予約者に届けたのだいう。
 

「初版本に対しポルノらしからぬと苦情を寄せた読者もいたが、二版目が刷られたときにも苦情を寄せた読者がいた。投機目的の購入者たちであった。」「日本での『ユリシーズ』の翻訳は一九三一年と早いが、猥褻と思われる個所が英文で残され、知識人の興味をくすぐったという。日本でも、『猥褻』と銘打たれるだけで、出版部数も伸びたらしい」(結城英雄「ジョイスを読む」集英社新書、P50)

 洋の東西を問わず、男は猥褻と発禁に弱い。このレッテルにつられて購入したものが読んでみてわけがわらず、ブンガクとして高踏などという評価をしたのかしら。このあとアメリカなどで猥褻裁判が起きて発禁になる。解除されたのは1960年代になってから。それからようやく猥褻文書や世間をにぎわした発禁本という偏見を捨てて、テキストをそのまま読む読者が生まれた。

 

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2025/08/20 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ III」(集英社文庫)14.15 第3巻は夜の章。まだ生まれない子供が歴史を幻視させ、死者が蘇り地霊が舞い踊る。 1922年に続く