odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ガリレオ・ガリレイ「星界の報告」(講談社学術文庫) 1610年の報告は「存在の大いなる連鎖」に沿った内容。なんで1633年のガリレイ裁判が起きたのか、本書からはわからない。

 覗き眼鏡(望遠鏡)が発明された。新し物好きのガリレイはさっそく入手し、さらに改良を加えた。たぶん覗き眼鏡は地上の対象を観察するためで、軍用になったのだろうと妄想するが、ガリレイはなんと夜空に向けた。月と天の川と木星を観察し、無数のスケッチを書いた。この時の観測結果を小さなパンフレットにまとめて、1610年に出版する。すなわち本書。
トリビア。当時近視用と遠視用のレンズが販売されていて、ガリレイはそれを使ったとのこと。へえ。そして同時代のアムステルダムにいたスピノザがレンズ磨き職人だったことに思いをはせる。)

 報告は次の三点。わかりやすい文体で報告に関してはあいまいなところがない。コペルニクス「天球回転論」1534と比べると、ずっと読みやすい。このあとのデカルト方法序説」1637、ブレーズ・パスカル「科学論文集」1646が出てくるのがわかるような平明さ。16世紀後半のヨーロッパでは文体革命が起きたのかと驚く。

1.月は表面に起伏があってでこぼこしている。月が輝くのは、主には地球からの反射光。それに太陽光が加わる(ので月齢によって明るさが異なる)。コペルニクスの時代(ガリレイの数十年前)には月には空気がないことがわかっているので、そのことは言及されない。(解説によると、当時の宇宙観では惑星と月は完全な球体であるはずだったとのこと。)

2.月と惑星は覗き眼鏡で拡大すると、円に見えるが、恒星は拡大しても大きくならない。天の川は恒星の集まり。

3.問題の木星の衛星。1610年1月から3月にかけての約3か月間、毎晩木星を観察した。木星黄道面にそって4つの明るい星がある。それは毎晩位置を変える。4つの星は明るさを少し変えるが、木星からある一定距離よりも遠くに行かない。ガリレイ木星の周囲を衛星が回っていると結論した。
 そして当時流行りのコペルニクス学説に言及する。下記の一節がそう。

「最も大きな軌道を進む惑星 [衛星]は、前述の回転について注意深く検討する人には、半月で最初に戻るように思われる。さらに、次のような人たちからの疑念を取り払うための、卓越し優れた論拠がある。彼らは、コペルニクスの体系において惑星による太陽の周りの回転を平静な気持ちで受け入れつつも、月が地球の周りを運動しつつ、両方とも太陽の周りを一年で回転するということには大いに困惑して、この宇宙の構造を不可能なものとして拒否すべきだと判断してしまうのである(P81)」

 とても韜晦した文章なのでよく読まないとわからない。すでにジョルダノ・ブルーノが無限宇宙論を提案したために、ローマ教会に弾劾され異端認定のうえ処刑されていた(ほかにも異端審問、魔女狩りがヨーロッパ中で起きていた)。なので、ガリレイは戦略的にこのように書いたのだ。
 今の科学史からすると、コペルニクスの地動説は受け入れられていた。数値計算が楽になったというより、地球が世界の最下層にあるのではないのがよかったのだ。なので、ガリレイは本書でも「地球は世界のゴミ溜めやおり溜めではない」と力強く宣言する。世界(宇宙よりも大きい)の中心は太陽で、そこが世界のゴミ溜めでおり溜め。地球は中心に近いけど、離れている。なのでそこにいる人類は底辺にいるゴミではない。安心できた。
 とはいえ、ガリレイは当時の宇宙観「存在の大いなる連鎖」を完全に廃棄したわけではない。宇宙を構成する周転円には疑義をもつ。実際、16世紀のいくつかの超新星の観測に加え、ガリレイによる木星の衛星発見は宇宙の階層構造をしんじなくなる証拠になった。でも、ガリレイは宇宙に充満するエーテル仮説は捨てていない(本書にも記述が登場)。本書を読む限りでは、ガリレイは「存在の大いなる連鎖」に抵触しないように、すなわち教会にたてつかないように書いている。
 それがこの二十数年後の1633年に裁判にかけられることになったかは謎。それは別書で確認しよう。

 

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