odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カール・ポパー「果てしなき探求 下」(岩波同時代ライブラリー)

2011/04/30 カール・ポパー「果てしなき探求 上」(岩波同時代ライブラリー)の続き

 ポパーによると、ダーウィニズムはテスト可能な理論ではないが、「形而上学的研究プログラム」(テスト可能な科学的諸理論にとってのひとつの可能な枠組み)であるということだ。そうなるのは、進化は歴史的な一回限りの出来事であること(柄谷行人闘争のエチカ」の物語と歴史の区別を参照すること)、実験による再現や検証が不可能であること、起源を問えないことなどあたりから。それでも、進化論が科学であるのは、進化論を支える学問(細胞学とか分類学とか生態学とか古生物学とか地質学とか)によって傍証、検証されていて、進化論自体が理論-仮説-検証-反証-理論の科学の方法にのっとっていること、およびそれらの研究に対して研究対象と方法を提供することができること、あたりにある。
 あとは駆け足で
・進化論は、ある特定の状況で起きていることの説明(歴史的な一回限りの出来事を説明することができても、それがそれ以外の状況【たとえば別の惑星】で成立するかどうかは不明)。
・進化論は、非有神論的な形而上学
・進化論は、ポパーの考える知識成長論と一致するところが多い。
(なお、書かれたのは1950年代だから、ポパーの議論を論拠にして進化論を論ずると、手痛いしっぺ返しにあいそう。ちゃんと最新の知見を勉強しておかないといけない。)

            • -

 ポパーは世界を3つに分ける。世界1は、事物=物的対象の世界。世界2は、(思考過程のような)主観的経験の世界。世界3は、言明それ自体の世界。世界3に属するものとして、彼は理論やテレビの画像などを挙げる。本書が描かれた1950年代にはまだPCやインターネットはなかったので、それらへの言及はない。世界3も自分にはよくわからないのだが、フーコーエピステーメーであるようだし、あるいはテクノロジーによるヴァーチャルな世界であるようだ。
 ポイントは、世界2は他人と共有ができない(しかし、ここの人は世界2を通さないと世界1を認識できない。認識したことを言明に変換して公開すると、それが世界3になる)。世界3は他人との共有可能になっていて、複数の人が世界3に参加することによって、世界3の言明や認識は変化、精緻化、理論化されていく。またここにはそれまでの言明の集積から、意図しないまたは予知しなかったもろもろの結果がありうる。たとえば数論の例。素数が無限であることは知られているが、最大の素数は見つかっていない、だからといって素数が無限であるという言明が否定されるわけではない(いいかげんな要約だ)。世界3自体が新たな言明を生みだすことができるので、それは自律的。しかも世界3は世界2を通じて世界1とつながっていて、世界1と同じくらいに実在的かつ無時間的。
 世界3では、ポパーの考える科学というシステム(でいいのかな?)がベースになっていることに注意。自分の考えでは世界3は「公共」であって、自由と民主主義が働いている。ということは、世界3に対して言明しようとする人は、責任と義務が生じてくる(だからネットやブログで意見を発表するとき、批判されることを覚悟していなければならない)。
 ポパーはこれによって心身問題にある程度解決されたと言っているようだが、自分の浅い理解だと、この「世界3」からたとえば国家・資本主義・民族などの問題に向かうのは難しいなあという感想。いずれにしろポパーは難しかった。

カール・ポパー「果てしなき探求 上下」(岩波同時代ライブラリー)→ https://amzn.to/4aIFAUy https://amzn.to/447iF2L