odd_hatchの読書ノート

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フーケー「水妖記」(岩波文庫)

 中世ドイツの湖に面した岬に住む老夫婦。15年ほど前に洪水にあって、幼い娘を亡くした。その数日後、美しい女の子が彼らの前に現れる。夫婦は彼女を自分の娘として育てる。周りに人のいないためか、彼女はきわめて自由奔放、天真爛漫、無邪気でいたずら好きになり、しかも夫婦にはわからないなにか超自然の力を持っているらしい。彼女が17歳になったとき、近隣の城から森を訪れたフルトプラントという騎士が家を訪れる。おりからの嵐と洪水で森で迷い、彼らの家に避難したのだった。フルトプラントという騎士はベルタルダという娘と婚約していたのだが、彼女の気まぐれによって、森を冒険しなければならなくなったのだ。しかし、森の奥で人とは思われない美しい娘と出会い、彼女に一目ぼれする。おりしも、長引く洪水によって数年間足止めを食らったフルトプラントは森の娘、ウンディーネに求婚する。ウンディーネは、私には魂がないがあなたの愛を感じることができる、あなたが私をなじらない限りはおそばにいよう、そして別の人とは決して再婚しないように、と不可解な言葉をもって求婚に応じる。ここまでで半分。
 フルトプラントとウンディーネはフルトプラントの居城リングシュテッテン城に戻り、新婚生活を楽しむ。あいにくその城にはベルタルダがいて、かれらの結婚を心楽しく思わない。持ち前の意地悪さでウンディーネにつらく当たるが、フルトプラントの愛は変わらないし、ウンディーネの不思議な力は自分の窮地を救う。しかも、彼らの婚礼に招かれた老夫婦は、ベルタルダが実の娘だったという事実を知る。ベルタルダはそれはウンディーネの意地悪と思い込み、城主や老夫婦の説得に耳を貸さない。むしろウンディーネがうそをついているのだとなじる。ここからウンディーネとベルタルダに決定的な亀裂が生まれる。それから時間がたち、水の悪霊キューレボルンがウンディーネに悪事をつぶされた腹いせに、フルトプラントとベルタルダに悪巧みを仕掛ける。ウンディーネが阻止しようとすると、すでにウンディーネに飽きたフルトプラントは邪険に扱い、ベルタルダへの愛が深まる。ついに、フルトプラントはウンディーネをなじってしまう。ウンディーネは自分の正体をあかし、彼らの元を去る。邪魔のなくなったフルトプラントとベルタルダは婚礼の式を挙げる。前日にフルトプラントはウンディーネが自分の命を奪うという予知夢を見るが、意に介さない。婚礼の夜、独りきりになったフルトプラントのまえにウンディーネが現れ、彼の命を奪い去る。このときフルトプラントはウンディーネの顔を見せておくれ、自分の過失もあるが、お前の顔を見ることができれば幸せだという。涙がフルトプラントの命を奪ったのだ。
 1811年の作。中世の民間伝承とゴシックロマンスのないまぜになった悲恋劇。当時大いに読まれたという。あいにく、フランス革命の挫折の後、政治に目覚めたドイツ民衆は作者を見放した。しかし、ほとんど唯一「ウンディーネ」だけがのこり、国を超えて影響を残した。フランスの象徴主義文学やその関連先でウンディーネは復活したし、ロルツィングという作曲家がオペラにした。この国のクラシック作曲家・三善晃も「ウンディーネ」を音楽劇にした(1970年代にNHKが映像をつけて1時間の番組にしている)。
 文学者なら、ウンディーネの幼児性と貞節などを天使や民間伝承なんかと結びつけて大いに論じるだろう。あるいは、ドイツ民衆文学の系譜とのかかわりなんかでも論文の一本もかけそうだし、キリスト教の感化にもかかわらず民間伝承にのこるアニミズムを何かに結びつけることも可能だろう。子供を亡くした共同体の外にいる老夫婦のもとに貴種が身を隠して現れるというのに神話の祖形をみることもできるだろう。それこそゴシックロマンスとロマン派の橋渡しの意義なんかも書けそうだ。19世紀のロマン派のこの世では成立しない愛の文学の系譜への影響、さらには音楽への影響(作者はE.T.A.ホフマンの知己)も調査しがいがある。どれも面倒なので自分はやらないけど。