odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

富田常雄「姿三四郎」(新潮文庫) 講道館柔道が異種格闘技戦、バーリ・トゥードを闘っていた時代。文章で書かれた熱血スポーツ漫画。

 黒澤明監督の「姿三四郎」を先に(ずっと以前に)みていたので、上巻から中巻にかけてはその映像を思い出すことができた。村井半助役の志村喬は、その表情までも思い出すほど。
 克己心のある野暮な主人公、しかも彼は非常に優れた運動能力を持っている。彼は自分を持て余していたが、あるときと紳士がけんか騒ぎで数人を相手に立ち合い、自分も相手も怪我をすることなく打ち負かすのを目撃した。弟子入りを志願し、立派な師のもとで修行に励む。ときに挫折し、失恋し、強くなっていく。彼には次々とライバルが現れ、一度は彼に屈するものの、最終決戦においては勝利する。すると、倒したライバルを上回るライバルが現れる。彼を打倒するために、かつてのライバルは無二の親友として主人公に協力する。

 こういうストーリーは、たとえば梶原一騎原作のマンガあたりで大いに読まれ、かつ今も書かれているものなのだが、たぶん始まりはここにありそうだ。そういう物語が約1300ページほど続く。
 結局、この長大な小説は最後の100ページがなければ、読む価値はないだろう。すなわち、ここにいたると、主人公は主人公であることに苦悩する。彼が生涯をかけるつもりであった競技・格闘技から身を引こうとまで考えているからだ。ここには、中国の名人の話が投影されている(中島敦名人伝」)。修練の果てまで行き、誰もそこまで来れないような高みを経験したのち、山から下りてその経験自体を無にするような。その精神の透明さと深さというと、凡人には理解しがたいところにある。そこまでを書いたからこそ、これは心にのこる。ヒーロー物でありながら、それを逆転させるような試み。もし彼がプロ、職業格闘家として食を食(は)む=金を受け取るものであれば、あるいは道場を主催しているのであれば、このようにはならなかったに違いない。
 かかれた時代(昭和17―22年)の時局がら、明治のバンカラ学生擁護、植民地政策擁護の風はあるが、主人公がそれらの問題に気が付かないので、まあよしとすることにしよう。
 あと面白いのは、三四郎は現在でいう異種格闘技あるいはバーリ・トゥードを戦っていること。最初は柔術の他流派。続いて、空手、拳闘家、レスリング、その他いろいろ。その試合模様の描写は週刊プロレスをもってしても凌駕できない。あるいは作者のかいた文書 文章や記述のスタイルがいまだにベースになっている。格闘技ファン、プロレスファンは積極的に読んで欲しい。なお川原正敏修羅の刻」第14巻の西郷四朗編の参考になるので、こちらのファンも手にしてほしい。とはいえ、新潮文庫版も講談社大衆文庫版も入手難。手に入れたらいれたで、1300ページを読まなくてはならない。それもまた修行と思い知るべし。

      

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