odd_hatchの読書ノート

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アレッホ・カルペンティエール「この世の王国」(サンリオSF文庫)

この世の王国1947 ・・・ 18世紀半ばから19世紀初頭までのハイチの歴史を語る。視点は奴隷ティ・ノエルにある。この志摩は、アフリカ奴隷貿易の中継基地で、フランスの植民地になっていた。ルノルマン・ド・メジーというフランス人の大農園があり、ティ・ノエルのような黒人奴隷が働かされる。白人の力による統治はたいていうまくいっているようだが、不満は時に噴出し、暴動や内乱になる。ここでは1751年、1791年、1820年そして翌年の暴動が描かれる。最初の暴動がマッカルダンという片手を無くした黒人の「指導」によるもの。毒を水や食べ物に混入して薬殺したのが、疫病に転化する。マッカルマンはなんども山狩りされるが、その都度、獣や鳥や虫に変身して捜査から身をかわす。それを黒人たちは当然のこととして受け止める。2回目はブックマンというジャマイカ人によるもの。フランス革命の余波でフランス人の動揺に乗じたもの。3回目には黒人による王国ができアンリ・クリストフが初代国王に収まる。この国王は猜疑心が強く、ほかの黒人を奴隷として扱う。巨大な砦を作るために黒人を徴集する。黄熱病が伝染し、多数の死者が出てから、暴動になり、それを制圧した翌年にも新しい統治者への叛乱が起きた。世界で初の黒人による共和国、かつラテンアメリカ最初の独立国を作る。あいにく安定することができず、経済的な独立も困難。

 以上のサマリは、統治する側からの視点ないし外からの視点だが、記述は上述のように無学な奴隷からの視点で描かれる。そうすると、植民地は軍隊や暴力を背景にしないと経営できず、西洋人の知性とか理性はハイチ他の中南米に根を下ろすことが難しい。というのも、マッカルダンもブックマンもティ・ノエルも、ヴゥードゥー教という土着の宗教とカソリックの混淆した教えのもとに世界をみているから。このマジカルな世界認識では、人が獣や鳥や虫に変身するのはあたりまえで、文字ではなく語りによって知恵を次世代に引き継いでいくもので、世界には神意が隠れていてそれを読み取るものの言葉が最重要という具合。その一方、西洋の代表者であるルノルマン・ド・メジーの没落も対比的に描かれる。植民地でフランスの文物がもちこまれてきても、それは奴隷や現地の人には根付かない。西洋の知性はマジカルな土着の知恵にかなわないというような。長年、アメリカの占領下にあった(1870年から1946年まで)のが、この小説発表時期に独立できたのに呼応しているのだろうな。タイトル「この世の王国」はマッカルダンの死亡が伝えられた時に、奴隷たちが「彼はこの世の王国に行ったのだ」というところから。植民地や農園ではない、「自由」なこの世の場所があるのだという表明なのだろう。

亡命者庇護権1972 ・・・ 架空の中南米の国。政党政治のようであるが、ある日軍事クーデターが起こる。襲撃を割けた大統領秘書兼内閣官房長官は、路地裏の隣国の大使館に亡命する。領事の老人と若い妻がいるだけ。そこに2年間も軟禁状態にある。見えるのは古い金物店、聞こえるのはカソリック教会のラテン語祈祷だけ。そこで時間の変化と空間の狭さを嘆くことになる。とはいえ、この元官房長官はなかなかのやり手で、軍事政権と隣国とで国境紛争がおきたとき、解決策を提示し、老いたやる気のない領事のかわりに仕事をいってに行い、領事の若い妻とは情事にふけり、あげくのはては隣国の国籍を取得したあげく、新しい大使に就任する。その就任式には彼を殺すことにしていた軍事政権の将軍がいて、それぞれに腹に一物を隠しながらの外交用会話を交わす。まあ、皮肉でユーモラス。その背景には、軍事政権に反対したデモが蹴散らされ、学生たちが秘密警察に逮捕され拷問されるという当時の中南米諸国ではありふれた光景があるのだ。


 二つの物語に共通するのは、作家は物語に一切登場せず、彼の代弁をなす登場人物はひとりもいず、遠く離れたところから語るのみ。主題や背景は、読者がおのずから読み取ればよいという突き放した態度。報告書か学術論文のように味気ない文章。しかしそこに書かれる事態は、あくまでリアリズムでありながら、常軌を逸している。それをおかしいと思わない人々たち。ここから「マジック・リアリズム」が始まったのだ。豊饒な文学世界。
 作者の突き放しぶりがときに自分の注意力の限界を超えて、朦朧とすることがあった(眠くなった)。すごいんだろうけど、自分には合わないかもしれないという疑惑もあった一冊。