odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「誰も不思議に思わない」(ちくま文庫)

 自分らが住んでいる場所で、日常を見ているとどれもありふれていて、おかしなことや奇妙なこととは思わない。誰かに指摘されたり、よその土地にいって振り返ったりするときに、おかしなことや奇妙なことだと気付くことがある、たとえば恵方巻という食べ物を節分に食べるというのは、関東ではずっとなかった習慣。なにしろ節分でも巻きずしをつくりすらしない。それが全国の風習みたいに思われるようになったのは、2000年代最初のゼロ年代の後半にたくさんのコンビニが商品を置くようになり、それにスーパーが追随するようになってからだ。同じくバレンタインデーにチョコを贈るというのも1980年以降になるのではないかな。
 おかしなこと、奇妙なことだと日常を見るときには、他者の視点にたっている。自分が土地や民族などのネーションに所属していない利害関係のない第三者であるとするものの見方だ。それを獲得するには、外国に出かけるのが手っ取り早い。でなければ、他者の立場でものをみている人の文章を読むとよい。著者は、60代の1980年代にスペインと日本を往復して生活していた。スペイン生活のほうが長かったので、この時期は他者の目でこの国のありさまを見ることになる。そこでみつけたおかしなこと、奇妙なことを「誰も不思議に思わない」というタイトルで36回かけて1986年から雑誌「ちくま」に連載した。

 連載のあった時期は、ほかの国の経済がだめになっていて、この国の成長が発展していたころ。日本が世界のヘゲモニーをとるとか、日本型経営が世界的な標準になるべきとか、この国を礼賛する主張が内外からたくさん出ていたころだった。おかげでこの国の人や組織は自信満々であったし、金払いの良い人として世界に出かけて行った。そういう時代であったことを知っておいて読むといい。
 著者がこの国のおかしなところとして指摘するのは、ヨーロッパ中で日本企業の看板やコマーシャルを見るのに文化やスポーツなど個人が目立つことはないとか、国内のペンションやホテルの名前が横文字ばかり(しかも本来の意味を無視した使いかた)とか、そんなこと。卓見というにはちょっと。それよりも、スペインほかのヨーロッパのことのほうがこの国の常識を覆す。スペインは熱いばかりじゃない寒い土地である、老後を国外で過ごすというが住む手続きや葬儀の手配が何しろ面倒なので気軽になるなとか、われわれが哲学用語としてしっている言葉が現地では日常用語なので面食らうとか、西ヨーロッパの気候はサハラと北極の影響が大であるとか。この国のヨーロッパ受容は書物からなので、こういう住居や日常からの報告で目からうろこが落ちるところがたくさんある。なるほど、こういう視点をもっていないと、われわれは西洋にコンプレックスか反感かの極端になってしまうなあと思った。
 後半では、著者70歳を迎えて、過去10年間になくなった知人を回想する。実際の交友から生まれた回想(追悼ではない)なので、物議をかもしたとか。それくらいにピンととんがった鋭い切れ味の文章。たった10行ほどの短い文章であるにもかかわらず、回想された人となりが彷彿とする。その文章のさえにも唸ることになるが、もうひとつ、そのころに亡くなった文人たちがとても若い年齢であることにも腕を組んでしまう。竹内好(六六歳)、吉田健一(六五歳)、柴田錬三郎(六一歳)、五味康祐(五八歳)、荒正人(六六歳)、福永武彦(六一歳)、ジャン・ポール・サルトル(七四歳)、芥川比呂志(六一歳)、中桐雅夫(六三歳)、鮎川信夫(六六歳)、宇野重吉(七三歳)。適当に抜粋していったが、当時の自分の印象ではいい年をした爺さん婆さんだったとおもっていた。でもリストにすると、なんでこんなに若くして亡くなったのかという嘆きと、この年齢までになんと大きな仕事をしてきたのだろうかという驚きが交錯する。自分の年齢が彼らの死去の年に次第に近づいているのを実感すると、俺は何もしてこなかったなあ、という忸怩たる思いと焦燥感でやりきれない。戦後生まれはうまく年をとれなくなったなあ。