odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ケイト・ウィルヘルム「鳥の歌いまは絶え」(サンリオSF文庫)

 <大壊滅>が起きて数十年。文明と文化と国家は破壊され、放射能で汚染された土地で、人々は100人くらいの共同体で暮らしている。今では、長雨に洪水で農業生産が激減、都市に残された遺産も収奪され枯渇しようとしている。しかも不妊と死産が起きて、人口も激減。人々は時に暴徒となって周囲のコミューンを荒らすこともある。科学技術の専門家が集まるこの村では、人工的な洪水を起こして暴徒を一掃してしまった(その政策に疑問を投げかける人はいなかった、あるいは視線にはいらなかった)。
 生命工学の専門家の集まるこの村では、人工胎盤を使ってクローン(この小説では無性生殖とほぼ同義)を生み出すことに成功する。クローンは優秀で、知識習得が早く、身体機能も有性生殖の人間よりも高い。問題は4代目で不妊になってしまい、種としての繁殖ができないところにある。それでも人間は100年を経ずして絶滅することが予想される中、残る資産をこの実験に投資し、クローンを増やすという選択をするしかない。不妊問題は、第1世代のクローンを継続的に生み出すことで当面回避する。そして、クローン集団が誕生し、生産活動や研究活動を彼らに引き継いでいく(このとき、人間と同じ顔のクローンが何人もいるというのは恐怖だと思うのだが、そこはスルー)。クローンが人間と違うのは、精神感応力(テレパシー)を持っているのと、同じクローンの「兄弟姉妹」と常に一緒にいないと不安を感じるというところ。大きな変化にあうと、精神障害を起こして引きこもってしまう。

 これはオルダス・ハックスリー「すばらしい新世界」(講談社文庫)と同じ世界。類似点のひとつは<大壊滅>後のためにすべての活動が経済に組み込まれていること。ただし生産性は激減しているので、戦時共産主義みたいになっている。クローンの世界では私的所有はないし、失業におびえることもない。もうひとつは、家族と恋愛の解体されたプライバシーのない集団生活。ここでもクローン間の性行為は自由であるが、子供は管理された工場で「生産」されるのである。というのも、麻薬漬けされた「繁殖員」と呼ばれる女性グループ(規律を乱したり精神異常になった人たちを強制収容)を作って、彼女らに「望まない出産」を押し付けているから。クローンは高い知能と優れた身体を持ち、ヴィジョンやミッションを共有する集団行動を適切に行える。そこには「個人」という概念がなくて、集団の利益が個人の生死よりも優先されている。だから読者の現実世界では人権侵害にあたる行為は犯罪ではないとされる。
 なので、この小説の主題は、集団生活や行動から逸脱する単独者や異端者を制裁する社会主義 全体主義の恐怖となるのかな。全体は3部で、単独者や異端者が生まれるとクローン社会が制裁・排除する過程が描かれる。第1部ではクローン技術の研究者デヴィッドが科学技術の成果におぞましさを感じて破壊しようとする。事前に察知され、村の外に放擲される。第2部ではクローン第1世代の女性モリー。都市への探検旅行中に自我とか芸術に目覚めて、孤独・引きこもりを選択する。それがクローン姉妹の苦痛を誘発するので、「繁殖員」にされる。ラストシーンはケラー「村のロメオとユリア」のような入水シーンになる。第3部は第2部の女性の息子マーク。クローンは数人同時に生まれるが、有性生殖で生まれた息子は一人っ子で、森で一人で過ごせる。常にクローン集団に厄介ごとを持ち込むので、彼は嫌われている。しかし、クローンの第5世代以降になると、想像力が欠如し適応能力が失われていて、集団の移住や新しい環境に即した変化を持てない。この自然児だけが適応能力を持つのだが、集団の保持のためにマークは排除される。
 ここでは、クローン=集団優位、個性なし、適応能力なし、自然に敵対的であり、有性生殖者=個人優位、自我と自立心をもち、変化に迅速に適応、自然に親和的という図式がある。強烈な遺伝子決定論だなあと思うし、国家社会主義共産主義への嫌悪なんかがあるのだなあと推測する。エピローグでは、すでに滅亡した人間社会に代わって、マークの作った有性生殖者の集まりに希望を見ているのも、その推測を裏付けそう。自分としては、クローンと有性生殖者の意味づけと善悪の評価が図式的で単純に過ぎるし、上掲のハックスリー「すばらしい新世界」をほぼそのままなぞったと思われるのも欠点だと思う(この小説のマークと「すばらしい新世界」のサヴェジのなんと似ていること)。あと、チャペックの「ロボット」にも似た設定と構成と持っている。
 それは、この物語には村とクローン集団の内部だけしかないから。冒頭では洪水を起こして荒くれ者の集団を躊躇なく流してしまうし、都市への遠征でも村以外の集団はどこにもなくて誰にもであわないしと、村やクローン集団の外にいる人たちを無視している。この小説みたいにインサイダーのふたつのグループのコンフリクトだけでは、社会の不協和や衝突の問題は説明できないし、解決も見いだせないでしょう。同じインサイダーでも物事の見方は多様でたくさんのグループが生まれるだろうし、外部の関係者を加えることでもっと問題を大きく深くできるのではないかな。
<参考エントリー>
アーシュラ・ル・グィン「世界の合言葉は森」(ハヤカワ文庫)所収の「アオサギの眼」
ヴォンダ・マッキンタイア「夢の蛇」(サンリオSF文庫) 1978年
ピーター・ディキンスン「緑色遺伝子」(サンリオSF文庫)

 もしかしたら、著者はクローンによる「繁殖者」の強制出産のような母性の破壊を恐怖に感じているのかしら。個性を伸ばすためには家族(とくに母と子の親密な養育体験)が不可欠であると主張したいのかしら。一生を独身者として過ごすことになる自分は、著者の意図を読み損ねているのかもしれない。

 2020年に創元推理文庫で復刊。