odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

高橋浩子/中村孝義編「西洋音楽の歴史」(東京書籍) この教科書で教育されたものが次世代に暗記の苦痛を与えるかと思うと暗涙を禁じ得ない。

 笠原潔「改訂版 西洋音楽の歴史」(放送大学教材)に続いて、大学生向けの「西洋音楽の歴史」を読む。こちらは複数の編者が構想をたて、編者以外の研究者に原稿を依頼するというやりかた。中世からルネサンスバロック、古典派、19世紀市民社会、20世紀という6つの時代にわける。各パートには時代背景、さらに細かい時代区分、トピックがあり、そのあとに詳細が続く。中世、ルネサンスでは曲の様式に重きが置かれ、19世紀市民社会になると、編成の違いによる分類になる。どのパートでも作曲家が重要で、ときに彼の内面まで推測する記述になる。


 自分はバロック以前の西洋には詳しくないので、そこまでは興味深く読んだ。しかし古典派以降の記述は薄っぺらすぎて読むに堪えない。このページの記述はそれこそレコード芸術や音楽の友などの雑誌に載る論文や録音評とほとんど変わらない。すでに半世紀近く西洋音楽を聴き、関連する本を読んできた俺には新たな発見がなかった。
 逆に言うと、そのような体験を持たない20歳前後の若者には、手ごたえのありすぎる本になるだろう。200人くらいは登場する作曲家の名前を覚え、歴史区分のどの位置にいて、どういう作品を書き、どういう影響を及ぼしたかを把握するのは大変だろうなあ。19世紀市民社会の音楽では「芸術」概念が生まれ、大衆にうけなくても技術や「精神性」の高い作品を「創造」することに価値があるとされた。本書ではおもに作曲家の内面に理由を求めているが、そこには音楽家や教師を要請する大学やその卒業生たちによる楽壇ができて、その権威付けと評価システムができたことにも理由がある。すなわち本書のような教科書で教育されたものが次世代に似たような内容を教えるから、本書や類似の教科書に権威がついていく。若者が作曲家の名前を覚える苦痛を次世代にも与えることになるのだろう、と暗涙を禁じ得ない。
 あとがきで次のように書く。

「日本ではテクニックのみの習得にとどまり、その背後にある西洋文明の総体は置き去りにされがちであった(P244)」

 この指摘はまさに本書につきささる。本書では/でも、「西洋文明の総体」は置き去りにされている。J.S.バッハベートーヴェンがメルクマールになる作品や語法を作ったとき、本書の記述では理由を説明しつくせない。フランスが1880年代以降に器楽作品が好まれるようになった理由を説明できない。20世紀初頭に映画音楽が西洋音楽の語法を取り入れて大衆に受けたことがわからない。(ここらへんはこのブログの別のエントリーで書いたことがある)
 古いパウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)1924年からいくつか西洋音楽の歴史を読んできたが、どれにも同じような不満をもってしまう。
 笠原潔「改訂版 西洋音楽の歴史」(放送大学教材)の感想にも書いたように、社会や政治経済との関係が書かれていないのが問題。なので俺が妄想する「西洋音楽の歴史」は社会の変化がまず書かれていて、その影響を受けて、作曲家はどのような反応をしたかを説明するものになるだろう。そうすると、本書の記述ではほぼ登場しないフランス革命時の音楽と救出オペラのことを詳述することになるだろう。古典派からロマン派派ではディレッタントのことを説明し、帝国主義国家の繁栄と都市の再編をみるだろう。WW1とロシア革命を書いて亡命者の音楽にページを割くだろう。全体主義国家の音楽で一つの章をつくるだろう。そういう歴史書を妄想する。
 今のところこの妄想に応えるのはこの一冊くらいなもの。
片山杜秀ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書)

 音楽家はいかに養成されたのか。中世の修道院では修道士の伝承だし、世俗音楽では職人教育だったのだろう。ルネサンスのイタリア都市では孤児院が音楽家育成を行い、各地にオペラや器楽演奏会の奏者を送り出していた。J.S.バッハは大学教育を受けられなかったので、テレマンらの大卒音楽家との競争に勝てなかった(すでにドイツは一部の職種で学歴社会が作られていたのだね)。古典派以降ロマン派になると、教科書に載るような作曲家でアカデミーの専門教育を受けた者はほとんどいない。19世紀末になると、今度は作曲家の副業として大学の教授になる。あるいは音楽学校の教師が作曲で有名になったりする。20世紀になると、ほぼすべての作曲家と演奏家は大学の専門教育を受けている。
 日本では明治政府の命令でドイツやフランスに留学したものが帰国したのちに音楽学校の教師になる。しかし専門教育を受けていない伊福部昭武満徹が名声を博す。こういう人は音楽教育が混乱していたWW2前後のころだけで、それ以外は専門教育を受けていないと、作曲と演奏のプロにはなれない。
 音楽教育は10年に一度の天才を育てる場所ではない。国家の音楽教育の担当者や、民間の事業で必要とされる音楽家を養成するところだ。それが教科書に出てくる音楽家を支えていた。西洋の大学や音楽の専門教育のシステムがどのように作られていったのかは興味がある。でもこれは社会学歴史学が担当する問題なのかしら。

 西洋音楽の歴史を中世からみたとき、重要なのは典礼儀式の音楽と舞台芸術の音楽。本書の記述ではこれらの重要性が見えてこない。とくに絶対王政からブルジョア市民社会まで流行したオペラとバレエがまったくみえてこない。フランスではオペラの様式がかわることで音楽も変わった。本書ではその重要性が見えてこない。放送大学2023年では「西洋音楽の歴史」講座と「舞台芸術の魅力」講座が別にあったので、音楽学専攻の学生は両方を必修にしたらよいかも。
 そうしないと、本書はドイツ音楽と器楽中心という批判からまぬがれないだろう。

 じゃあ自分でやるかというと、それはちょっと。この教科書を暗記し、出てくる作品を聞いて自分の感想をメモし、これまでに読んだ本を参照しながらレポートを書けば、合格点くらいはもらえそう。でもその先の研究となると、これは特別な訓練が必要。膨大な文献調査と先人の研究成果を知り、論文を書く様式を覚えないといけない。移り気で根気がない俺(このブログをみれば関心領域が散漫なのはわかるでしょ)にはちょっと無理な話。

 

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