堀田善衛の「方丈記私記」によると、方丈記は5500文字程度だということ。短いものなので、時間をかけずに読むことができる。堀田善衛は若いころにほぼ暗記していたというからすごい。真似したくともできない。

鴨長明はだいたい1155年に生まれて、1216年に亡くなっているので、平安の終わりから鎌倉幕府の成立までにあたる。方丈記の前半は京都の乱世を伝える。
さて、平安末期の12世紀、日本の気候はこうだった。
「平安初期(西暦820年)の嵯峨天皇の頃に最高気温(25.9℃)を記録しました。一番寒かったのは、平清盛の生きた平安後期(11~12世紀,約24.0℃)で、聖徳太子の活躍した飛鳥時代初期(600年頃,24.7℃)、応仁の乱の後の戦国時代初期(1450年頃,24.4℃)も寒冷でした。奈良時代後期、室町時代などは温暖で概して平和、寒冷期は社会の変革の時期に対応していました。/ 950~1250年頃は、ユーラシア大陸を中心として「中世温暖期」として有名です。しかし、本研究で得られた結果は予想外に「寒冷」でした。「日本には中世温暖期はなかった」ということになります。たぶん、大規模なエルニーニョが原因と考えられます。」
https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/topics/2017/20170104.html
方丈記の前半に、竜巻と飢饉が起きたのはこのせいか。飢饉は田舎が飢えるのではなく、食糧が入ってこない都市で深刻になる。当時は物流はほぼないに等しく、リソースの再分配を行う政府機能もなかった。そうすると、都市民は都を棄てる。あるいは文化財を勝手に売る(漆を塗った木材が安価に売られているのを見る)。人口が流出しているので、商品は売れずデフレが進み、人びとはさらに苦しむ。それは火事が起きて、多数の人が焼け出された時も同じ。
大地震が起こると、死者は4万数千人にものぼる。死体の額に「阿」の字を書いて供養する僧侶がいたことが驚きだが、書いた文字の数を数える人がいたことにも驚く。あるいは福原遷都を強行したためにおこる京の混乱。福原遷都の歴史的意味は下記を参照。
高橋昌明「平家の群像」(岩波新書)
遷都は権力者が変わったことの象徴であるが、当時の庶民からすると、天変地異とおなじような不条理や理不尽に他ならない。都市から人が消え、流通が減り、インフラがダメになる。都市はまことに人がいなければ機能しないものなのだ。
という具合に鴨長明が見た「乱世」の背景を探る。上掲の堀田善衛は方丈記の乱世を1945年の日本に重ねた。21世紀に読み直すと、鴨長明の乱世は2010年以降のこの国に重なる。方丈記にでてくる火事、竜巻、大地震という3つの自然災害は現在進行で経験しているものだ(幸い飢饉は生じていないが、農業人口と農耕地が減少しているとなると、いつ起きてもおかしくないという気分になる)。「方丈記」では、これらの災害と混乱に対して富める人や権力を持つ人が無関心であり、貧しい人は嘆くだけであることを報告する。近世以降であれば、政治の失策を糾弾するものだ。場合によってはデモを為政者に見せつけることも必要だろう。
でも朝廷での出世をあきらめて世捨て人になった鴨長明は政治にも無関心になる。京の都のはずれに隠居するだけでなく、都で起きていることにも無関心になる。多くの人は隠居住まいに魅かれるようだが、今回の再読(さて何回目なのか)では、全然魅力的にならなかった。
放送大学の講義「方丈記と徒然草」第4回「災害記としての方丈記」で前半の4つの災害のことを取り上げていた。方丈記は江戸時代から読まれていたが、その版を流布本という。この後大福光寺本が発見され、こちらの方が古いとされて、最近は大福光寺本で読まれている。たとえば青空文庫は流布本で、講談社文庫は大福光寺本(編集の川瀬一馬が発見し公表)。
本文には異同がある。たとえば安元の大火の火元について。流布本では「病人」であるが、大福光寺本では「舞人」とある。
流布本「火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。」
大福光寺本「火本は樋口富の小路とかや。舞人をやどせる仮屋よりいできたりけるとなん。」
もとは「コウジトカヤマヒビトヲヤドセル」とカナ書きで句読点がなかったのだろう(自筆本は未発見。たぶん紛失)。「やまひびと」とするか、「まひびと」とみるか。文章をどこできるかで、語句と意味が変わってしまった。あと筆写本では語句の間が広がっていて区切りがあるとみなしたのかな。
堀田善衛が「方丈記私記」で、それまで「病人」の家だったのが、「舞人(すなわち娼婦)」の家になったのに驚いている。(「方丈記私記」が書かれた1971年は流布本と大福光寺本の切り替えの時期だったのだろう。堀田善衛は勉強家。発見したことは新鮮な驚きとして書き、さらに想像力をふくらませる。)
福原遷都で都が荒れたのを嘆くのに、
流布本「ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず」
大福光寺本「古京(こきょうとルビ)はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。」
どうやら「コキヨウ」とあったのを、流布本では「故郷」とあてたが、大福光寺本では「古京」とあてる。これも漢字の当て方で意味が変わる。この語句の少し前に
流布本「誰かひとりふるさとに殘り居らむ」
大福光寺本「誰か一人、故郷(ふるさととルビ)に残りおらん」
とある。ここでは「フルサト」だったので異同が起こらなかったのだろう。
俺の感想では大福光寺本の当て字を取る。長明は死者ですら客観視しようとするので、都にも思い入れを籠めた表記はしないだろうという判断。
そういう異同はほかにもあるのでしょう。
講座の島内裕子先生は、「方丈記」のテーマは人間と住まいの関りで、「災害記」「散策記」「書斎記」なのだ(これは江戸時代からこう読まれてきた)、思想書としてみると逡巡しても「答えなし」で書を閉じたという。これはどうかしら。俺は堀田善衛のように乱世を生きた知識人の生き方のほうが適切に思う。大学の小説の読み方では、なぜ長明は出家したのか、なぜ出家しても歩き回り人を観察したのかがわからない。なにより長明は乱世をどう生きたのかが不明瞭になる。「方丈記」を読むとはこの問いを考えることだと思うのだがなあ。
以上は堀田善衛の本に強く影響された見方。島内先生は「方丈記私記」を芥川の「本所・両国」、中野孝次「すらすら読める方丈記」のような方丈記の影響を受けた災害記文学と触れただけ。残念と思う。期待するような読みでなかったので俺は拗ねているだけ。
あだしごとはさておき、鴨長明も兼好法師も武家や公家から「遁世」して無縁の人びとになった。無縁なので、どこの階層にも、身分格式にとらわれることなく、全国どこにでも自由に行き来できるようになった。これまでは庭にいるか勝手口(というのは当時なかったが)で用事を聞くくらいだったのが、武家や公家の家に上がって主人などと対等に話ができるようになった。ときによっては武家や公家が芸事の習いなどで、遁世者の「方丈」の質素な住まいを尋ねることもあった。そのために武家と公家の階層や家の格式にとらわれない。身分制社会では持つことができない自由と平等を享受できた。こういう視点が必要。彼らが残したテキスト(「方丈記」と「徒然草」)も無縁の遁世者が書いた。それらを近代用語の「文学」と読むのは誤りだ(と思う)。
江戸時代にも「方丈記」はたくさん読まれてきた。本文の横や頭に注を付けた注釈本が多数出た。中世の言葉は変わってしまったので、そのままでは意味が取れないので、たくさんの人が研究して注釈をつけてきた。
とりあえず放送大学の講座で紹介される注釈は、語句の引用元を教えるというもの。伊勢物語や堀河百首などの語句を使ってますという。それは「ゆく川の流れは……」で始まる冒頭にもあるという。俺が思ったのは、そうやって古典を参照したり本歌取りをしたりして書いたものは、「つれづれなるままに、日暮らし、硯すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(兼好「徒然草」)」とあるような筆の遊びとはまったく異なる心遣いだった。筆をとる前に、構想を立てて、本歌をどう処理するかを考え、オチをどうつけるかまでしっかり考えていたことになる。なにしろ書きだしたら訂正するのは難しい。紙も筆も墨も灯も高いのだ。一度で完全なものに仕上げたい。ワープロみたいに書いたり消したり移動したりをきままにできるわけではない。「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば」は作者の謙遜だったのではないかねえ。
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