odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

牧野富太郎「自叙伝」「植物記」「植物知識」(講談社学術文庫) 牧野のバイオグラフィーから大日本帝国の高等教育政策がみえてくる。

 NHK「連続テレビ小説」に著者をモデルにした「らんまん」2023年が放送された。きちんとみていなかった。そこで、自叙伝他で彼のバイオグラフィーを知る。日本で博物学者を生きることは極めて困難だが、それをやり遂げてしまった。他にも数人はいるだろうが、大名の末裔だったり貴族だったりして資産には困らない人。でも牧野は土佐の造り酒屋の生まれとはいえ、家業をほったらかしにして成人になるころには潰してしまう。ねっからの貴族というか善悪の彼岸に立った人というか、金勘定をしないで一生をすませてしまった。結果、パートナーや子どもに迷惑をかけたようだ。老境に入ってからの述懐では、微塵の後悔も反省もない。俺のような凡庸な人間には測りがたい人です。
 牧野は1860年生まれ。自叙伝では正確な年齢がわからないが、東京大学の植物学教室に出入りするようになったのは、20代の半ばころ。帝国大学令がでて東京大学が東京帝国大学に改組されたのが1886年。牧野は帝国大学によるエリート教育システムができたばかりのときに大学に関わりをもったのだ。帝国大学になって大きく変わったのは、それまで教授だったお雇い外国人が解雇されて、留学から帰国したものが教授に就任したこと。理系の学問の留学先はたいていドイツだったので、ドイツの分類学を持って帰ってきたのだった。問題はドイツで勉強したので、日本の固有種に関する知識と情報が欠けていること。そのときに、小学校中退で学歴なしの牧野はフィールドワークに基づく豊富な知識で重宝された。でも退官するまで講師。昇給はほとんどなし。それでも彼が研究を続けられたのは、どうやら「大日本植物志」を出版していたこととたくさんの文章を発表していたためらしい。土佐の財閥などがパトロンになって、牧野の借金を肩代わりしていった。西洋では独力で博物図鑑を作ろうとすると、ほとんど失敗して財産を失うものだ(ユゴー「レ・ミゼラブル」にそういう老人が登場する)。でも牧野はそうならなかった。学歴社会を作る中心にいながら、学歴無用の生き方ができた。仕組みができたばかりのどさくさまぎれだったからだろうなあ。
 牧野のバイオグラフィーから大日本帝国の高等教育政策がみえてきます。
中山茂「帝国大学の誕生」(中公新書)
天野郁夫「大学の誕生 上下」(中公新書)
 とはいえ学歴なしの独学者が大学に就職して学位ももらえたのは博物学という学問だったから。もともとアマチュアのディレッタントがやる学問だから正規教育を受けていなくても採用できたのだ。実験が必要な物理と化学、工学系ではまったく無理。戦後では考古学でアマチュアから教授になった人がいる。フィールドワークがいる学問だと、少しは可能性があった。
(自叙伝は求めに応じて書かれた複数の文章を集めている。同じ話を4~5回聞かされているようなもの。深みが増すようなことはないので、とても冗長です。)

 

 牧野は植物学(の形態分類学)だけに関心をもっていたのではなく、民族学や文学にも関心を持っていた。下記のエッセイ集は「大日本植物志」からスピンアウトした一般向け啓蒙の文章を集めたもの。植物の説明がいかにも博物学らしい。今の図鑑には書かれないような文章なのでめでてください。
植物知識1949
植物記1943
 痛快なのは、漢字輸入された植物名と日本に生息する植物はたいてい一致していないという指摘。漢字で書いた植物は日本にはないものなので、カタカナ表記のほうがまだましらしい。それに万葉集に出てくる和名の植物も、近現代の注釈者や批評家が同定したのはたいてい誤りなのだそうだ。牧野の説に従うと、古代の和歌が詠んだ景色は今の通説とはかなり違うものになるはず(今はしっかりしていると思うが)。
 博物学の領域は文系理系の枠を超えた広がりを持っているのだね。本書にあったかどうかもう覚えていないが、牧野が言うには博物学はnatural philosophy(直訳すると自然哲学)の訳語だとのこと。19世紀以前の科学者がいろんな領域に手を広げて論文を書いていたのを思い出す。

 

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