odd_hatchの読書ノート

エントリーは3600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2026/7/3

江戸川乱歩「初期中短編」推理篇「二銭銅貨」「赤い部屋」「陰獣」 一人称は嘘をついていることとアンモラルであることを隠す。

 江戸川乱歩の小説を再読する。ここではデビューからしばらくの間のものをレビューする。明智小五郎の冒険譚は別にエントリーを立てたので、ここではそれ以外の中短編を読む。比較的推理趣味のあるものを選んだ。俺は乱歩の幻想趣味は好きではないので、「人間椅子」「押絵と旅する男」などの奇妙な味のものは除外した。ショートショートも省いたので「算盤が恋を語る話」などの掌編もいれない。

二銭銅貨1923 ・・・ サマリーは省略。ルームシェア(とは乱歩は使わない)している貧乏な遊民はたがいに空想家。盗まれた金を自分のために使うのは有為であるという屁理屈を繰り出す。ここに見られる他人蔑視と強い自意識は「地下室」の住人と同じ思考で、ほとんどラスコーリニコフと一致している。通常は暗号を問題にするが、俺は変装テーマに着目。最初の紳士泥棒も松村も付け髭、含み綿などを使って人相を変える。自分でない他人に似せることで、罪と罰から逃れられるかと思い込んでいるかのよう。そしてプラクティカルジョークの愛好。他人を傷つけても退屈と倦怠から逃れられればよいと考えているのだ。変装とジョークはこの後の乱歩の小説の主要モチーフになる。この作品の前駆は谷崎潤一郎「私」1920だが、わずか3年後に書かれた。乱歩の小説は西洋の短編探偵小説と谷崎潤一郎を模倣することから始まった。

赤い部屋1925 ・・・ 生に退屈して倦怠している7人の男の前で語られるプロバビリティの殺人物語。谷崎潤一郎の「途上」1919にインスパイアされたことは乱歩本人が書いている。退屈をまぎらわすために刑法に触れない殺人をする。ほとんどラスコーリニコフと同じところにいながら、「あれ」「醜悪な計画」を実行しないので、この7人は卑怯な人間。実際に彼等は名無しの無個性な人間なのだ。小説の最後で、殺人に居合わせながら何もしない、動かない。正義も善悪ももたないモッブ(アーレント)でダス・マン(ハイデガー)なのだ。退屈で倦怠して自分の生命を軽んじているものは他人の生命にはもっと冷酷で無関心・無感動。ここでもプラクティカルジョークがモチーフになっている。それは人の仮面を引っ剥がす手段であるが、モッブやダス・マンの仮面を引きはがしても、顔は現れない。のっぺらぼうなのだ。

湖畔亭事件1926 ・・・ レンズと鏡にフェティシズムを感じる男が神経衰弱治療で逗留している田舎の旅館に覗き眼鏡を仕込んだ。そこに殺人の様子が映る。しかし死体はない。血糊はある。容疑をかけられるものはいない。同じ旅館に逗留している客といっしょに事件を推理する。全集にしか収録されない中編。それはそのはずで現在のモラルでは封印するべき記述だから。
これも谷崎潤一郎の影響下に書かれた作品。殺人の様子を映像で見るというので「白昼鬼語」1917のリメイク。解決もその線にそったもの。覗き見はプラクティカルジョークのつもりらしいが、現在では犯罪(当時でも)。乱歩の覗きと幻燈趣味は他人の尊厳を棄損する欲望に基づく。
陰獣1928.08-10 ・・・ 再読したが、前回の感想に付け加えることはなかった。
江戸川乱歩「陰獣」(講談社文庫)
語り手「私」と夫人との間が、典型的なボーイ・ミーツ・ガールになっていた。不意の出会いでひとめぼれ→会話する仲になる→トラブルの結果互いに触れ合う→共感が高まってキス→終日いっしょにいるようになってベッドイン→平穏な日々に訪れる不安。書かれた時代だと、若い男女がこのような恋愛をすることはほとんど不可能。都市の独身者の欲望を満たす物語だった。

 初期の中短編はすべて一人称で書かれる。「心理試験」「屋根裏の散歩者」は三人称であるが、実際は一人の視点から外れることはない。一人称で書くことは西洋近世の告白や手紙の形式を継いでいる。そこには一人称の語りだから真実を書いているという暗黙の了解がある。なので読者は、語り手を信頼し感情移入できる。19世紀からの犯罪小説はこの思い込みを覆す効果をもっている。乱歩の中短編の語り手は信頼できない。ウソを隠し、真実を隠す。そのうえ道徳・善悪・マナーに反する行為を屁理屈で正当化しているのに、普遍的な判断であるかのように伝える。自分がアンモラルであることを隠す。

 

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